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「沖縄地上戦」考

やんばるの森の暴虐 

 

 沖縄の高江の米軍ヘリパッド建設問題で高江住民と日本政府・安倍政権が激しく対立している。高江には「やんばるの森」という自然林があり、この森は71年前の壮烈な日米沖縄地上戦のとき、日本軍に見捨てられ、生き残った沖縄住民たちが命からがら逃げ込んだ森といわれる。

 今、その森がヘリパッド建設で破壊されることに怒った高江住民が建設阻止の実力行使に訴え、本土から送りこまれた警察機動隊と衝突し、深刻な事態に発展している。不幸にも、71年前の日米沖縄地上戦の「本土VS沖縄」の国産バージョンのようにすら見えてくる。

 71年前、沖縄を占領統治していたGHQのマッカーサーの沖縄政策の根幹には「沖縄人は日本人ではない」という考えがあり、これが戦後の沖縄と本土の分断統治の起源になっている。また本土の日本人もまたそのような沖縄への差別観を持っており、長年、沖縄に米軍基地負担を押し付けることに罪悪感をもたなかった。

 実際、沖縄はもともと中国の影響下にもあった琉球王朝が元祖であり、本土の統治下にはなかった。17世紀、江戸時代に薩摩藩の約3000人の軍隊の部隊が首里城を陥落させて琉球王朝を支配下に置き、植民地化して琉球と清国との貿易の実験を握り、沖縄の富を搾取していた。

 明治維新の廃藩置県で薩摩藩がなくなると琉球王朝は廃止され、沖縄県となって日本の領土に編入された。このような沖縄史を紐解けば、異邦人のマッカーサーが、沖縄人は日本人ではないと考えたのは当然だっただろう。もともと日本ではない沖縄の新しい統治者がアメリカに変わっただけだと、マッカーサーは考えていたに違いない。

 

 私がハワイ大学の客員研究員(イースト・ウエスト・センターと兼務)として在籍していたころ、沖縄出身の1世というハワイ大学教授に会ったことがある。まだ若いのに1世だというので理由を聴くと、彼は沖縄戦のときはまだ15歳の少年だったが日本軍に少年兵として徴兵され、戦闘中に負傷して米軍に捕まり捕虜としてハワイの米軍基地へ移送された。

 取り調べで15歳の未成年ということがわかり、身柄は釈放され沖縄へ戻すという話になったという。

 すでに戦争は終わっていたが、彼はもう沖縄へは戻りたくないと米側に懇願し、このままハワイに居たいと希望した。敵国の捕虜の少年がそのままアメリカに居住するという先例がない話に米軍側は困惑したが、彼の意思があまりにも固いので、仕方なしに住居を提供し生活物資も与えてくれた。

 「捕虜の生活は沖縄で暮らすよりよほど快適だったし、米軍の人たちは親切だった。このままハワイに住みたいと心から思った」という。

 彼は米軍やハワイ州の援助を受けて自力で生活を続け、教育を受け、ハワイ大学を卒業しPh.Dを取得してハワイ大学の教授になった。孤独ではあったが、沖縄では経験しなかった自己実現の幸せな生活だったという。

 捕虜体験から始まる教授のサクセスストーリーを聴かされた私は、知らなかったアメリカの懐の深い一面を見た思いがした。恐らく教授は、沖縄戦に幼い自分を狩りだした日本を恨んでいただろうし、捕虜になった自分が故郷へ戻ったとしても、沖縄の生活に希望はないと思ったのだろう。(以上、拙著『真珠湾の真実』(平凡社新書参照

 

鳩山政権は何をしていたのだろうか

 せっかく政権交代したのに、民主党の鳩山政権が斃れた直接の原因は、辺野古基地移設で「最低でも県外」という約束が果たせず、当初の辺野古に戻さざるを得なかったのが理由とされている。

 普天間を辺野古に移転させるという米側との約束を守ることが、政権の存立を保障する絶対条件であることに、鳩山氏は気がつかなかったのだろうか。その場合、地元沖縄の民意はどうでもよいのだろうか。沖縄の民意は圧倒的に辺野古移設に反対だったはずである。

 民意には忠実だったが、米側に睨まれた鳩山首相は退陣せざるを得なかったわけだが、これは独立国の首相としては実に矛盾した話である。米側には忠実だったが、民意に背いたために鳩山内閣は斃れた、というなら話の筋道は成り立つが、ここではロジックの逆転がある。

 私はかねがねこのときのロジックのねじれがわからなかった。しかし鳩山氏が、後に『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのかの著者矢部宏治氏との対談で、沖縄基地問題は日米交渉の通常の外交ルートとは異なる別の場で行われていたことを知らなかった、と述べていたことに驚いた。それは日本側、米側の安保関連人脈が形成する「日米合同委員会」という組織の専権事項という話である。要するに、日本側の意志、米側の意志はこの日米合同委員会の委員たちの意志だという意味だ。

 そんなおかしな話があるだろうかとは思うが、一国の首相だった鳩山氏がそう語るんだから、事実関係を詳細に検証する必要はあるが、恐らくそれは国民の誰もが知らない事実なのだろう。

  鳩山氏はオバマ大統領に「トラストミー」と約束しておいて、大統領の期待を損なったために米国の怒りを買い、キャンセルされたとか、ルーピー鳩山などの噂がネットなどでも飛びかい、手の施しようのない反鳩山ムードが醸成されていた。

 オバマ大統領は歴代の米国大統領の中では有数のインテリだし、リベラルでもあるので、沖縄民意の話し合いもせずに、いきなり怒るのだろうかとの疑問はあったが、日本の全マスコミがそういえば信じてしまうしかない。

 ところがこれも検証の必要があるが、最近、オバマ大統領は「日本の信用できる指導者は、平成天皇と鳩山元首相」と語っているという話がある。鳩山氏は先の駐米大使だったルース氏とスタンフォードの同窓生で大使のパーティにも呼ばれているということだったし、経済人のルース氏はオバマ大統領の信任も篤かったはずである。ホワイトハウスとは太いパイプがある鳩山氏が問答無用で切り捨てられた理由も判然としない。

 しかし前述の矢部氏の著作を読むと、どうやら日米の安保関係や基地問題を仕切っている日米双方のジャパンハンドラーと呼称される一部の人たちによる固定した利権の人脈があり、税金にたかって甘い汁を吸って生きている人たちが、日米双方の無知に付け込んで利権を貪っているのかもしれない、という想像力が働いてくる。もちろん、この問題も詳細な検証が必要だ。

 

 高江の森を取り戻せ、と孤立して機動隊に虐められている人たちには心から同情の念を禁じ得ない。薩摩の琉球支配いらい、ずっと本土の人間の思惑で虐められてきたのに、沖縄戦では日本軍が逃げ出したあと、女も子供も兵力として徴用され、やんばるの森に棄てられた。

 その後にやってきたアメリカ占領軍には日本人ではないとみなされ、基地負担だけを押し付けられてきた。少女暴行事件で沖縄の反基地感情が盛り上がった時期があったが、あのとき沖縄に同情の念を示したのが、ハワイ州知事のワイヘイ氏だった。

 ワイヘイ知事はハワイ州初のネイティブハワイアン知事で、王朝のハワイがアメリカの州になる歴史と重なる辛酸を沖縄にも見ていた。王朝最後の王女といわれたリリオカラニ王女が作った「アロハオエ」は故郷を思う美しく悲しい歌である。ハワイの人たちは今でもこの歌が好きだ。

 あのとき、ワイヘイ知事は沖縄の基地負担の一部をハワイ州でもってもよいという提案を連邦政府に提出したという。米側はその提案を受けいれる用意があったといわれたが、のちに私がハワイの研究機関で聞いたところによれば、ワイヘイ知事の提案を拒否したのは日本側であったということだ。この話をハワイの現地で聞いた私はとても恥ずかしい気持ちになった。

                    (柴山 哲也 

 

| - | 15:17 | - | - |
天皇と国家元首

 天皇のビデオメッセージと退位問題が国内外で大きな波紋を広げている。

 

 近隣諸国の韓国、中国などアジア各国はもちろん、欧米メディアも関心ももたずにはいられないのだろう。

昨年の戦後70年首相談話では、大戦に対する通り一遍の感想は述べたが、痛切なる反省の言葉もなく、欧米の大新聞からは「責任の主体が見えない歴史修正主義談話だった」と総括された。従軍慰安婦は存在しない、南京虐殺はでっち上げだという安倍政権のシンパの右翼が唱える言説と共に、日米同盟を隠れ蓑にして、日本の自衛隊が世界中どこにでも展開可能にした安保関連法の強行採決で、世界は日本の動きをきな臭く見ている。

 大東亜戦争は聖戦だった、キリスト教国家連合軍からアジア侵略をストップさせた、とまるでイスラム過激派みたいなことを真顔でいっているグループがある。ナチスドイツのハーゲンクロイツ旗を掲げたヘイトデモが堂々と町中を練り歩くデモも日常化している。

 タカ派のトランプ候補がしばしばいうように、原爆を謝れというなら真珠湾をまず謝れという理屈は、アメリカ保守層や退役軍人組織の家族等には根強いあり、近年、これがぶり返しつつある。その点で日本に融和的な姿勢を示すオバマ政権の評価は軟弱に見られ、渋いのだ。いまさら日本の面倒などみていられるか、というのが共和党トランプ候補のホンネである。

 アメリカだけでなく英仏蘭諸国は太平洋戦争の真珠湾攻撃と同時に、植民地の東南アジア諸地域を急襲され奪取された恨みがあり、日本軍の捕虜にされて信じられないような虐待を受けた軍人たちの恨みはまだ消えてはいないし、日本の悪行として語り継がれている。

 アジアでも比較的親日だったシンガポールにも近年、国立博物館が新築され、そこの展示コーナーの中には、日本の大戦中の残虐行為を特集したフィルムや写真や事物が展示されていて、知らずにそこに足を踏み入れた大学生はずっと中にいられずに、中途で逃げ出したという。

 世界中で評判芳しくない日本が太平洋戦争前夜のように、おさおさと軍備を拡充していると受け止められても不思議ではない。それを知らぬはにほんじんばかり、という構図が戦前とおなじように出来つつあるのだ。

 

 そうした中で平成天皇が国民向けに出されたビデオメッセージが関心をもたれるのは当然のことでもある。

天皇は戦後の憲法で定めらた象徴天皇となにか、を即位以来ずっと考えて来られ、象徴として有りうべき天皇の行動を実践して来らてたことは、先のブログで述べた。

 象徴天皇とはなにか、ということは実は総理大臣にも政府の役人にも学者にも国民にも、だれにもわかっておらず、先例もないことだから、天皇ご自身が自らこれを実践して行動してきたことがらのすべてであったと考えらる。

 象徴天皇とは「内閣の助言と承認により、国民のために、国事に関する行為を行う」と憲法には書いてあり、「国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する」となっているので、自らの政治的権能はない。

 また被災地の訪問、戦没者の慰霊などにより、災禍に遭った国民の傍らに寄り添って目線を合わせ、会話するという行為を積み重ねることで、象徴天皇の有り方と独自のイメージを構築されてきた。

 世界には皇室が存在している国はたくさんあるが、このような皇室の独自の有り方、モデルはどこにもないだろう。象徴天皇とは、戦後日本だけが生み出した新しい皇室のイメージなのである。またこの天皇イメージは権力、軍事力、経済力を背景とした物理的な権力からは遠い、シンボルとしての新しい日本文化を作りあげている。

 

 戦前の昭和天皇は軍人のイメージがあったが、平成の象徴天皇はこれを払拭して文化のメージへの転換させている。憲法と共に生きて来られた平成天皇が象徴にこだわるのは、歴史的な意味があることを、共に戦後を生きた国民は理解すべきだ。

 

天皇は国家元首か

 自民改憲案では天皇は「国家元首」としている。詳しい規定はないので「国家元首」が何を意味するのかは不明だが、明治憲法では「天皇は国家元首」となっているので、明治憲法回帰といえる。少なくとも「象徴」よりは権力者のイメージが強い。そのぶん象徴天皇が築き上げてこられた文化イメージは削減される。

 

 マッカーサーの指示でGHQ憲法草案を書いた民政局のケーディス元大佐(すでに故人)に話を聴いたことがある。マッカーサーは良くしられた憲法三原則の走り書きをケーディスに示した。草案を書くにあたり、「戦争放棄、国民主権、封建制廃止」の3つを骨子とせよ、ということだった。天皇に関しては「主権を持つ国民の総意による国民の代表者」といったという。

 「象徴=シンボル」という言葉ではなかったが、「head of the State 」とマッカーサーはいったという。この英語なら国家元首ということになるが、「Stateの前にthe がついていたので元首を政治的権限を持たないという限定的な意味に用いたと思う」とケ―ディスは説明してくれた。ポツダム宣言の受諾をめぐって日本側と米国側が天皇の地位をめぐって厳しいやりとりをしたことが、こうしたマッカーサーの言葉になったのだろう。

 要するに日本語訳で「象徴」としたことに間違いはないということだった。「国民の総意による象徴天皇」だからシンボルといういい方は少し違うが、「象徴」は的確な表現になるということだった。

 

 ところで、「天皇を国家元首とし、政治的権限を持たない象徴の地位に止める」という内容の自民改憲案は優柔不断であり、憲法制定の歴史的な経緯から見ても、意味不明なものである。天皇を国家元首と外国ではみなしてるからそれに合わせるというが、立憲君主国ではおおむね国王は国家元首とされている。しかし戦後に出来た「象徴天皇」という存在と国民の総意はつながっている言葉だから、あえて明治憲法に回帰するかのような「国家元首」に変える必要はなかろう。こうした天皇の地位の変更は日本の下ごころを詮索されるだけだ。

 憲法には歴史が刻まれている。現行の日本国憲法も20世紀の歴史の所産として誕生した。これをそう急に変えて20世紀の歴史を修正して何事もなかったような顔をして明治憲法に戻る必要がどこにあるのだろうか。

 

 ちなみに天皇メッセージのニュースを書いたニューヨーク・タイムズは、日本の天皇を head of state と表記しいるので安心されたい。しかしマッカーサーがいったような「state の前にthe」はついていない。さすがのニューヨーク・タイムス記者もそれは知らなかったのだろう。「象徴天皇」という呼称こそが、日本独自の言葉なのである。

                                       (柴山 哲也)

 

 

| - | 06:41 | - | - |
象徴天皇とは何か

 8月8日に天皇のお言葉が発表されて、マスコミも政府も大騒ぎになった。

 

 かつて私は記者時代に、もう何十年も前の昭和天皇の時代に皇位継承の大嘗祭をどうするのか、という記事を手がけたときの大騒ぎを思い出した。大嘗祭について政府も宮内庁も何も考えていなかったらしく、「呑気なもんだな」と問題提起した哲学者・上山春平氏も驚いていた。

 戦後の憲法で天皇は象徴となり、戦後の教育の中でそう教えられたが、天皇制の研究者たちはゴマンといるのに、誰もそういう現実的な話をする人はいなかったし、政府や政治家や役人も日頃は天皇を利用しながらも、アタマの中に具体的なアイディアはなかった。

 当時、私は大阪の学芸部記者という地味なポジションにいて、京大などを回っていた。京大には人文科学研究所があり、新進気鋭の学者たちが集まっていて毎日、面白い研究や議論をしていて、そこは新聞のネタの宝庫だったので新聞記者が群がっていた。著名な教授クラスには桑原武夫、貝塚茂樹、今西錦司、梅棹忠夫氏らがいた。司馬遼太郎氏は新聞記者時代に、京大を回っていてしばしば図書館に籠り、あれだけの知識を仕込んで大作家になったという伝説の記者の先輩だった。

 

 当時から自民党のタカ派には憲法改正論者はいて、何かあるとそれがアタマをもたげるところはあったが、多数派にはハト派が多く、安保より経済や外交に強い政治家が主流を占め、平和主義者が多かった。だから改憲には関心がなかった。戦前と戦後を同格に比べることすらアホらしいことだった。

 また当時は青春時代に戦争にまきこまれて学徒動員で駆り出され戦場に送りこまれた人たちも多く、もうあんな無謀な戦争はこりごり、ようやく平和な研究生活が保障された現代は素晴らしいと考えていた。京大哲学科を出たばかりの上山氏も戦地に動員され、海軍兵士として人間魚雷「回天」に配属された。

 死ぬ覚悟はあった。しかし出撃はしたが魚雷が故障して海に漂い、九死に一生を得て大学へ戻った。

 

 戦争が終わって、新憲法草案を自分で書いたことがある。そして自分たち若者が国家に命を捧げるように迫られた精神がどこから生まれたかを考えると、超国家主義の明治天皇制に行き着いた。国のために死ぬことは、現人神(あらひとかみ)としての天皇の為に死ぬことだった。戦後、天皇は人間宣言をして神ではなくなったが、戦前の天皇は神だった。

 

 「新憲法は満足できる内容ではないが、自民党改憲案を読むと、あんな出来の悪い文章に戦後の憲法を任せるわけにはゆかない。当面、私は護憲でゆく」と晩年まで語っていた。

 

 確かに自民憲法草案には理念や哲学がなく、日本と天皇を称揚するだけで、不偏的な理想を掲げているわけではない。目的とする到達点もわからない。ノリと鋏で切り張りしたかに見える文章は稚拙で官僚の作文としても、まったく出来が悪い。

 アメリカ憲法もフランス憲法もイギリスの大憲章も格調がたかい。外国語であっても、文章の格調の高さくらいはわかる。およそ一国の歴史を刻み、かつ人類の普遍的な理想を掲げて現代に引きつがれている憲法は、どの国の憲法であっても高い格調がある。

 平和主義を貫き戦争放棄を謳う今の日本の憲法のほうがはるかに格調が高く、世界の理想を述べている。オバマ大統領が広島演説で掲げた核兵器廃絶の理想とも重なる。憲法とはその国の旗であり、理想を高々と掲げるものである。現実論をくどくど捏ねまわすのは憲法ではない。

 

 戦後70年続いた現行憲法のほうが自民改憲草案よりはるかに格調が高いのは、読み比べた人ならだれでもわかる。「みっともない憲法」などどこれを揶揄するのは、安倍首相かその周りの人くらいのものだろう。

 

 さて、天皇のお言葉だが、このビデオメッセージ意味するところは実に深い。なによりも国民に向ってまっすぐに語りかけておられる。約30年間、象徴天皇の人生を歩んでこられた平成天皇は、国民の誰よりも象徴天皇という歴史上、未曾有の体験を生きて来られた。

 雲仙の火砕流事件のころから、現場に出かけて被災者を見舞い、亡くなった方々の慰霊を続けた。天皇のこの旅は、途中で体調を崩されたことはあるが、途切れることなく現代に及んでいる。最近でも東日本大震災の被災者の見舞い、原発事故に遭った方々の見舞いなど、思いがけない悲劇、災害に遭遇した国民に対するきめ細かな気遣いがあった。

 「日本の津々浦々、島々も訪ね、そこに生きる共同体の人々に寄り添ってその声を聴いてきました」とメッセージでは述べられている。

 また海外や沖縄には戦死した人々への慰霊の旅にも出られた。昨年はペリュリュ―島の戦没者慰問に行かれた。この島は日本軍玉砕の島ではあるが、日本軍が米兵捕虜に対して残虐行為を働いた島でもあり、米軍の報復への恨みを買った場所でもあった。

 

 天皇はそれらの旅を続ける中で、日本の隅々にまで村落や郷などの共同体があり、それらの小さな単位から日本国民がなり立っていることに気がつかれたのだと思う。まるで民族学者の柳田邦男や折口信夫のようだと思った。

 この旅の集積によって平成天皇は、自ら憲法に規定された象徴天皇になられたのだと思う。

 

 かつて象徴天皇を学校で教えられたときは、象徴て何か、意味はわからなかった。日本のシンボルのことだと言われると、ますますわからなくなったことを覚えている。

 今回のビデオメッセージを通じて、国民の誰もがわからなかった象徴天皇の意味を教えてくれたのだろうと思う。天皇はそれによって今の憲法に生きた血を注ぎこまれたのではないだろうか。

 こう考えると、今の憲法はもっと生き生きしたものになる。日本列島にどんな不幸や悲惨な事件が起ころうとも、いつも「国民の安寧と幸福」を念じてくれる天皇の存在は、有り難いものではなかろうか。そのようにして憲法が国民と共にある社会は素晴らしい社会ではないだろうか。そんな素晴らしい社会を作るために、国民も努力して一歩、前に進まなければならないのではないか。我々は天皇の存在についてあまり考えることはなく、ただ甘えてしまっていたのではないだろうか。


 もしいま自民改憲案が通ってしまえば、象徴天皇はなくなるだろう。自民案には「天皇は国家元首」とあるから、少なくともいまのような天皇の立ち場とは違ったもになる。

 また改憲案では憲法の骨格や哲学を伝える重要な前文が全て削除されているから、その骨格や歴史観、思想は不明になるが、基本的人権を削減し、個人を人と言い換えたり、言論の自由には公案の許す限りなどの条件を忍びこませている点は、まったく油断はできない。国民が自由に振る舞うことに対する警戒心や、権利の主張に対しても国家の許容する範囲内での自由と民主主義というタガがはめられいる。国民を警戒し、敵視しているのではないかと勘繰りたくなる文章がある。

 2年前、アベノミクスが始まったころ、久しぶりにかつて在籍したことのある古巣のハワイ・東西センターを訪問した。そのとき旧交を温めていた知人の米人の政治学者が「自民党改憲案を呼んだけどあれは酷いね。日本は明治憲法の大日本帝国憲法に戻るつもりかね」といった。ちょっと大げさかなと思ったが、今になって思えば、当方のほうが自民改憲案を甘く見過ぎていたのかもしれない。

 

英紙、真珠湾奇襲攻撃以来の書き方

 英国の有力紙「ガーディアン」は今般の天皇メセージのニュースのを報道で、「日本の象徴天皇のリタイア問題に関して、冷酷な独裁者は反対する考えを示した」と書いている。欧米の新聞が日本の指導者を「冷酷な独裁者」(Only a cruel despot would stop Japan’s emperor retiring)と表現をしたのは近年は見たことはない。それは70余年前の真珠湾攻撃以来の書き方ではなかろうか。

 71年目の夏、政治的権力のない天皇が安倍改憲の前にたちふさがったように見えてきた。天皇も止むにやまれない想いで、今度のビデオメッセージ発信に踏み切ったものだろう。実際、フランスのル・モンド紙はそう書いている。

 

 安全保障や米国との同盟関係の課題だけが日本国憲法の問題ではない。自民改憲案にはもっと重要な問題点が隠されている。憲法前文、憲法1条(天皇)憲法9条(戦争放棄)の3つの文章はリンクしており、どこかが削除されると意味をもたいないような構造になっている。憲法はジクソーパズルのようなものである。どこかの破片がなくなると全体の骨格が崩れてイメージが完結できなくなる場合もある。

 昨年は歴史認識の問題が問われ、安倍政権のメディアへの圧力や介入が露骨になったが、今年は象徴天皇の退位をめぐって、大きな波乱がありそうだ。

 

 (このブログは約鞠間、事情で休止していましたが、折を見て再開し、憲法と天皇の問題を考え続けてゆきたいと思います)。ご愛読を感謝します。)

 

                                   (柴山 哲也) 

 

| - | 16:36 | - | - |
パールハーバーの悪夢

日米双方に蘇るトラウマ 「トラートラートラ」
 
 この画像はハワイ真珠湾で日本軍の奇襲攻撃が成功し、「トラトラトラ」の暗号電報が送られたときの大日本帝国海軍が作成した「軍極秘」の戦果資料である。当時、ホノルルには日本海軍のスパイが潜入しており、真珠湾を見下ろす丘陵の上にある民家に宿泊して戦況を監視していた。この図はそのスパイが書いたものと思われる。(柴山 哲也)
   
(画像が枠外にはみ出していますがご寛容ください)


 

 昭和16年12月8日(ハワイ時間12月7日未明)の日本のパールハーバー奇襲から70余年。奇襲はハワイ住民にとっては直接の悪夢であり、米国民にとっても許しがたい悪夢だった。日本軍の奇襲によって米国は第二次世界大戦に参戦し、多数の米国民の犠牲を強いられたからだ。
 真珠湾に停泊していた米戦艦アリゾナをはじめ多くの軍艦が撃沈され、暁の眠りの中にいた米海軍の千数百人の海軍兵士たち が死んだ。アリゾナ記念館には今でも戦死者の遺影と追党の献花が置かれている。また1999年には、日本が敗戦の降伏のサインをした戦艦ミズーリが本土から真珠湾に移されて、海底にあるアリゾナを守護するようにして海上に浮かんでいる。

 軍人だけでなく民間人の犠牲者も数多く、ハワイ在住の日系人は途端の辛酸をなめさせらた。日系人はスパイ視され逮捕されたりFBIの監視下におかれた。しかし日系人たちは祖国の暴挙を怒りながらも、ひるむことなく米国市民としての義務を忠実に果たすことを誓い、第二次世界大戦の危険な戦闘に赴いて米軍最強といわれた歩兵部隊を編成して汚名挽回に励んだ。
 ハワイ出身の民主党のダニエル井上議員はイタリア戦線で視線をさまよいつつも武勲を立て、日系人初の陸軍将校になり、戦後はハワイ州選出の上院議員になった。彼の死去にさいしてハワイ出身のバマ大統領は追悼の辞を述べた。

 真珠湾が米国に与えた傷は日本人が考えているより遥かに深い。忍者のような奇襲攻撃をした日本人への警戒感は消えてはいない。
 9.11同時テロのとき現場からライブ中継するテレビキャスターは、「アメリカが攻撃を受けています。これは第二のパールハーバーです!」と叫んでいた。こういう緊急事態のとき、パールハーバーのトラウマが顔をのぞかせるのである。
 
 ところが、ハワイ大好きな日本人はホノルルマラソンには参加するのに、真珠湾を訪ねる日本人はほとんどいない。関心がないこともあるが、真珠湾に行くと否応なく、日本の過去の見たくはない歴史に付き合わされるからであろう。
 取材に行った私が日本人だと知ると、「日本人が来てくれて嬉しい」と、担当の海軍士官がわざわざ握手を求めてきた。

 真珠湾奇襲はルーズベルト大統領の陰謀で大統領は知りながらわざと奇襲を許したという陰謀説が日本ではまことしやかにいわれている。
 しかしこの背景には真珠湾を守るべき任務にあった太平洋艦隊のキンメル将軍の近親者たちが将軍の名誉回復をはかるキャンペーンを行い、マッカーサー将軍にキンメルが追い落とされたというストーリーを展開したことがあり、こうした米国の動きに同調した陰謀説と考えられている。しかしこれは米国における歴史の見直し、歴史修正主義の一環とみなされ、クリントン大統領もブッシュ大統領もキンメル将軍の名誉回復措置にサインをしなかった。
 実際、ルーズベルト陰謀説の実証できる根拠はないのである。第一、米軍兵士をはじめハワイ住民に多大の犠牲を出すような日本軍の奇襲を、大統領が黙ってみているはずはない。
 民主主義がわからない日本人が戦争勝利のためには、同胞の犠牲を平気で受け入れるという仮説を立てるのだろうが、ルーズベルトがそんなインチキをやれば大統領の犯罪として後世から糾弾されることは必至なのだ。大統領陰謀説が成立する余地はない。

 近年、日本の極端な右傾化のなかで、真珠湾の見直しを含む歴史修正主義が盛んになっている。日本側の歴史修正主義は米国の悪夢とトラウマを蘇らせる。単なる保守化、右傾化というだけでなく、ナチスを手本とせよなどど政権幹部が気軽に口にするようにになると、日本が国際社会の中で何をやってもうまくいかない、評価されないというドツボにはまる。
 大東亜戦争を肯定し、従軍慰安婦や南京虐殺は存在しないとか、戦争犯罪の隠蔽をはかることと、特定秘密保護法とか集団的自衛権が説明も不足したまま実施される動きと連動している。
 大企業が潤えば下にもおこぼれが落ちてくるというわけのわからない資本主義経済と、3年先には景気は必ず回復してみせるなどという社会主義計画経済みたいな理屈が混在するアベノミクスの理論の根拠は最初から破綻しているというべきで、ムーディズが日本の格付けを落とし、日本はシンガポール、香港、中国、韓国の後塵を拝することとなった。
  
 経済の劣化だけでなく、日本政治の貧困劣化と右翼化は国際社会の批判を浴び、欧米の一流メディアは繰り返し日本の右傾化を批判し警戒感を露わにしている。

 亡くなった菅原文太さんが、「いまの日本は、真珠湾を奇襲したときと同じだ」という言葉を遺したが、まさに心すべき時代になった。真珠湾の記憶がいまほど鮮明に蘇る12月はないだろう。 

 

 


 
 

 
 

| - | 12:54 | - | - |
朝日に強力な助っ人現れる
外国特派員協会からの警告だ
                       柴山 哲也
 約30年も前の従軍慰安婦の記事で自国のメディアの袋叩きにあい、意気消沈の朝日新聞に予想外の強力な助っ人が現れた。見るに見かねてか?欧米の自由の国のジャーナリストたちの怒りが爆発したのかもしれない。
 日本外国特派員協会が発行する雑誌『SHIMBUN』11月号である。月刊のこの英語雑誌は毎月20過ぎに会員各社、世界各国へと配布される。日本外国特派員協会は欧米各国の特派員を中心に世界中の有力メディアの記者が加入している。一か月の日本の大ニュースが詰まっている。
 まずは今回送られてきた11月号の表紙を見ていただきたい。

 
表紙の画像「朝日を撃沈せよ!」という過激なタイトルで、例の8月5日付けの記事取り消し・訂正紙面が紙の舟のような折り紙状で、水面に浮かんでいる。紙舟は空爆されて船体の半分は炎上し黒煙が噴き出ている。空から3つの爆弾が落とされているのがわかるが、その爆弾には「読売」、「産経」の文字が書いてあり、もうひとつの爆弾には安倍氏に見える顔がある。
 記事の中身はさらに激しい。ロス郊外に建てられた従軍慰安婦像の撤去を執拗に求める日本の外交運動を紹介しながら、これが日本の右翼による朝日攻撃に転化した理由や日本右翼のナショナリズムが台頭する背景をレポートしている。問題は従軍慰安婦の強制性にのみあるのではない、ということだ。
 朝日攻撃の先には「河野談話の取り消し」「国連人権委のクワラスワミ報告」の撤回を右翼が画策していると記事は主張する。要するに、狙いは来年の第二次世界大戦70周年で、戦勝国の米英仏ロ諸国をはじめ、中国、韓国、北朝鮮などのアジア諸国からの戦争犯罪を蒸し返されることを怖れた歴史修正主義者らの右翼勢力が、手始めに朝日を叩いている構図と、いうわけである。敵は「本能寺にあり」という類の解説なのである。

 外国特派員協会の特派員たちは、朝日が30年以上も前に書いたというこの過去の記事のことを全くしらなかったという。また一連の従軍慰安婦記事を朝日が書いたことを知っていた記者もいないようだ。
 しかし従軍慰安婦と性奴隷の差異をさほど意識していない外国のジャーナリストたちは、独自の取材によって韓国、中国、旧オランダ領インドネシア、フィリッピンなどを調査してきた。従軍慰安婦は日本のマスコミの”専売特許”ではなく、国際戦争犯罪の問題として世界中のジャーナリストの取材対象であることを日本人は忘れているのか、といわんばかりの内容である。なめるな、外国ジャーナリストもちゃんとこの問題を取材してきたんだぞ、というのだ。
 朝日を叩いて「強制性の有無」にこだわる日本の立場はコップの中の嵐にしか見えていない。この歴史修正主義の嵐に読売、産経のほかに政権党までが参加していることに、外国人ジャーナリストは驚きを隠さない。
 
 かつて『ニューヨーク・タイムズ』がペンタゴン機密文書をスクープし、『ワシントン・ポスト』がウォーターゲート事件をスクープして、ベトナム戦争終結させるきっかけを作り、ニクソン政権を崩壊させたとき、他のライバル紙やテレビ、有力週刊誌など全米のマスコミは仲間を擁護し、政権からの攻撃からスクープした新聞を守った。
 それにより米国の新聞も週刊誌も発行部数が伸び、全米のテレビ局の視聴率は上がり、全マスコミが経営的にもハッピーな日々を手に入れたのである。ライバルの仲間を叩き、仲間を敵に売らなくても発行部数は増え、視聴率は伸び、CMもたくさん入ってきた。
 マスコミは自分のプロとしての役割に忠実になり、読者、視聴者にまっすぐ向き合えば、マーケットも拡大する。
 この簡潔なマスコミ論を知らない日本のマスコミは、マーケットは権力側の手中にあるものと勘違いして、仲間を叩き、ライバルのマーケットを奪い、いずれまた自分も叩かれることに怯えているのではないか。
 だから、背後から朝日を擁護する大新聞もテレビ局も出て来ない。学童のクラスのようにターゲットを虐める側にいないと、いつ自分がターゲットにされるかわからない。みな戦々恐々なのである。
 グローバルスタンダードも理解していない日本のマスコミは、いつまでたってもハッピーにはなれるわけはないのだ。これを肝に銘じるための外国特派員からの警告と受け止めたい。

 
| - | 10:27 | - | - |
産経のソウル支局長訴追事件
  報道ビザは何のためにあるか      ジャーナリスト 柴山 哲也
 

産経新聞のソウル支局長の大統領の名誉棄損訴追事件は、メディアの自由に対する韓国検察の侵害という意見が、日本のマスコミや官房長官など政府首脳からも出ている。
 タテマエとしてはそうだろうが、やや違和感を禁じえない。

 産経記事は、韓国大統領が客船事故のさなかに男性と密会していたというスキャンダルを報道したものだが、この話は噂をもとにして韓国の新聞の間では報じられていたようだ。産経は韓国の新聞をもとに記事を書いたというが、噂話の裏を取ったかどうか。しっかりした裏の証拠(たとえば当該時間帯の密会中の写真など)があれば、韓国検察といえども起訴はできないはずだ。事実認定ができれば、言論弾圧だと声高に訴えることができるが、そこらへんがどうも判然としないまま、今や日韓の争いになってきるが、要するに事実関係がどうなっているか、どっちが先にこれを証明できるかどうかにかかっている。
 
 私も多くの海外取材をしてきた経験がある。韓国より遥かに記者に厳しい北朝鮮にも行ったし、社会主義原理主義の独裁国だったアルジェリアの取材もした。アルジェリアでは報道ビザで大変な苦労をしたこともある。
 海外での記者の取材には報道ビザが必要なのだ。これは独裁国や社会主義国に限らず、韓国や中国、アメリカ、フランス等の欧米諸国でも同じだ。報道ビザを取らずに観光などで記者が入国することも多いが、取材上や記事で問題が起こればその国から訴追される。

 外国で報道ビザを持って取材しているときは、ある種の緊張感がある。うっかり軍事施設や政府施設に入りこんだりするとスパイ視されることもある。記事を書いて原稿を日本に送るときも検閲されていることを想定して書くことが多い。
 要するに記事を書いて面倒に巻き込まれる怖れがあると考えたときは、踏み込んだ記事を書く場合には帰国してからにするという判断が働く。日本にいるときとは違う、あくまで外国で報道ビザを取得して記事を書いているという自覚が必要なのだ。

 産経記者にはこういうデリケートな問題に対するセンスがどれほどあったのだろうか。一国の大統領の名誉にかかわる噂を外国の記者が記事にする場合は、より慎重な判断が必要だったのではないか。報道ビザがなぜ発行されているのか、ということに無神経だったのではないかと思う。

 もうひとつある。日韓関係が正常な状態ではないことも念頭にいれなければならない。また朴韓国大統領が一番、気にしている従軍慰安婦問題で産経は韓国を叩く急先鋒の主張をしている。韓国政府や世論を逆なでしていること、それがための反発も自覚しておく必要があった。
 日本にいれば産経の主張は安倍内閣のお気に入りで、朝日叩きでも何でも好きに自由にやれるが、外国では日本と同じようにはゆかないことに気がつく必要がある。
 また産経の主張は日本国内では言論の自由を軽視し、海外では言いつのる、というダブルスタンダードを感じさせることが多いことを付記しておく。                   
| - | 14:39 | - | - |
朝日叩きの世相を斬る!
 

朝日叩きの世相を斬る!

「新聞のゼロサムゲームの果て」

    柴山 哲也(ジャーナリスト)

 

朝日誤報事件は日本国内では新聞社間の部数競争のゼロサムゲームの果てに、不況の業界の足元を見た政権によって政治利用され、東京裁判否定を真の狙いとする戦後否定ナショナリズム高揚のために使われている。

私は約20年前に『日本型メディア・システムの崩壊』という本を書いて、日本の新聞への警告をしたが、20年後のいま、「崩壊」という言葉がそのまま現実になったことを悲しむものである。

ネットやブログが確立されたジャーナリズムの代替をするという楽観論にはまだ与しにくい。ネットは不安定で信頼性がなく、日本ではまだネットジャーナリズムの市場は存在しない。ネット情報はタダだから、“安かろう悪かろう”に落ち着く。タダほど怖いものはないのだが、現状では確立されたジャーナリズムの崩壊は、そのまま日本のジャーナリズムの崩壊につながる。つまり日本社会は朝日叩きによって、自由と民主主義の守護神であるジャーナズムの根本を失うことになる。

ところが、『東京新聞』『週刊金曜日』『週刊現代』などごく僅かな良心的メディアを除けば、日本のメディアは深く考えることもなく、安易に右へ倣って朝日叩きに邁進している。公共放送NHKも同じで、英国の公共放送BBCとのあまりのスタンスの違いに茫然とする。NHKは権力に屈服しながら、知る権利を国民から奪い、しかも国民から料金を取っている矛盾したメディアだ。

救いといえば、冷やかに日本の安倍政権と日本メディアの狂乱ぶりを観察する欧米のメディアが的確に事態を分析し、真意をとらえていることだ。欧米の主要な一流メディア群は、安倍政権の歴史修正主義を危険視し、閣僚のネオナチ疑惑を半信半疑で見ており、政権の後押しを受けて朝日叩きに邁進していることを見抜いている。彼らはいずれもジャーナリズムの根本精神を忘却することはない。欧米のジャーナリストは日本ほど堕落してはいない。「武士は食わねど高楊枝」のプロとしての心意気は持っている。

欧米先進国の政府やホワイトハウスもこれらのメディアの論調と足並みを揃えて、朝日叩きの異様さを見ている。

 

結局、朝日問題の帰結とは、日本のマスメディアが言論の自由を自らの手で権力に差し出し、自己否定し、国際世論からの全面的な孤立を鮮明にした事件として、後世に記憶されることだろう。

 

戦時の「悪の枢軸」だった日独伊のうち、戦後ドイツはナチスを葬り、イタリアはムソリーニを葬り自らの力で国際社会に復帰した。

しかしながらGHQとマッカーサーに助けられて国際社会に復帰した日本だが、70年後に従軍慰安婦など存在しない、と言い出し、東京裁判は間違いで大東亜戦争は正義の聖戦だったと開き直った。

 

昨年の秋、久しぶりに古巣のハワイの東西センターを訪ねたとき、知人の政治学者らと旧交を温めたが、日本のナショナリズムを危険視する人たちに会った。GHQで仕事をしていたある学者は、「マッカーサーは敗戦日本を甘やかしすぎだ。我々の失敗だ」といった。東京裁判を否定し、憲法を明治憲法に戻そうとする人々を許さない、というわけだ。日本政府や東電の原発事故汚染隠しについても気にしていた。日本が作ったデータは信用できないので、東西センターでは自前の汚染地図を作っており、私にも一部くれた。ハワイ大学には独自の海洋汚染調査チームが出来た。ハワイの日本料理店で出てくるマグロや寿司、タイ、ウニなどの海鮮食品は日本からの輸入を止めてハワイ近海産に代えていた。

アヒと地元では呼ばれるマグロ釣りのネイティブハワイアンの人々の姿を海岸ではたくさん見た。

 

32年も前の朝日新聞誤報がタイムスリップ状態で現代に蘇り、滅多打ち状態で叩かれている。安倍政権とマスコミ、読売、産経、毎日各社が叩き、テレビがこれに乗り、週刊誌が加勢している。立法府の場でも公的に堂々と朝日攻撃をやっている風景を見ると、この国の政治家たちは憲法21条言論の自由の条文を読んだこともなく、これが憲法によって禁止されている「検閲」にあたることも自覚していないようだ。

 

思うに、大衆の面前で謝罪した木村社長にも言論の自由の浸透度が緩いのではないかと思った。

誤報は正す必要があるが、それは朝日購読者に対する義務ではあるが、購読者でもない人々に頭を下げる必要はない。新聞紙上で訂正すればそれで充分だし、先進国の一流新聞の社長が刑事事件で訴追されているわけでもないに、記者会見して謝罪する風景など、見たことも聞いたことない。世界の新聞の記録にも出てこない。

大正時代に米騒動の事件報道で朝日が筆禍事件に問われ、天皇への不敬罪で刑事訴追された白虹事件があったが、そのときも社主は世間に謝罪はしていない。軍事色の強い寺内内閣時代だが、社主の村山は「寺内ごときに謝る気はないが、天皇には申し訳ない」と語り、紙面で出直しを誓った。失礼だが、木村社長は自社のこの白虹事件の歴史を調べたことがあるのだろうか。

誤報以上の中傷や謝罪をもとめられるいわれはない。従軍慰安婦の強制性の有無よりも、こういう10代の少女たちが多数、慰安婦として旧日本軍の管理下で使われていた事実は消せない。水木しげる『姑娘』という漫画でも描かれている。こういう漫画だと子供たちも読むだろう。

大阪本社で執筆されたあの「吉田証言」なる記事の記憶は、今の朝日記者たちも定かではないだろう。自分が感知していない昔の亡霊の責任を取れ、といわれているようなものだ。

新聞社のくせに誤報をしたものを糺すのを忘れたとは何事か。32年もほうかむりした理由は何か。この誤報のおかがで日本の名誉が大きく傷つけられ、国際社会における日本の立場が失われた。朝日は責任をとって「廃刊にせよ」という声があちこちから聞こえてくる。

この記事をめぐって俄かに沸き上がった外部の朝日非難だが、謝罪を迫られた木村社長でも、記事掲載当時はせいぜい30歳そこそこの記者としてはまだ若造だったはずだし、政治部にいたとしても政治部のない大阪にはいなかっただろう。

当時大阪朝日本社文化部にいた私でもはっきり記事のことは覚えていない。誰が書いたのかも知らなかったが、朝日を辞めて20年になった今、初めてあの記事の執筆者の名を知った。当時の私は海外取材に頻繁に出ていて社内の事情に疎かったせいもある。

あの時代は司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の時代で、日本は高度成長の坂をまっしぐらに駆け上り、自信を取り戻し、アメリカを抜かす経済大国にのし上がった黄金時代だった。

一億総中流化時代といわれ、貯金が10年で2倍になった時代だ。国民はマイホームを手に入れる夢に邁進していた。

 

そういう良き時代だったから、あの記事がそれほど注目もされず、間違いがなかなか発見できなかったのだろう。

今日、声高に首相もいうが、あの記事が世界の日本イメージを直接傷つけた、日韓関係を大きく棄損したという話が事実であるかどうか、第三者委員会はしっかりと検証してもらいたい。こうした事実が確認されないとなれば、針小膨大に朝日記事を言い募っているにすぎないことになり、大きな反証になる。

さらにあの誤報を契機に従軍慰安婦は存在しなかったという言説も数多く見られるようになり、国連や韓国、中国、北朝鮮、フィリッピン、インドネシア、オランダ、にも記者を派遣して、慰安婦にされたという当事国の記録を調べ、生存する人の証言を取り、各国政府見解を聴き、各国で世論調査を行う必要がある。また米国の公文書館には日本軍から押収した関連書類の一部があり、特に、メリーランド大学のプランゲ文庫には膨大な戦時資料が眠っているから、そこを綿密に調査すれば、まだ未発掘の従軍慰安婦資料が発掘できるのではないだろうか。

 

最近、御池とうりにある朝日京都支局の前を歩いていたら、音量をフルにしたマイクで「朝日わあ、謝れー、出てこーい」と叫んでビラを配っている輩がいてびっくりしたが、そういわれても支局の若い記者が生まれるよりはるかに前の記事だろうし、支局長でもまだ子供のころの話だろう。気の毒に思った。

そういえば右翼の野村秀介氏が東京朝日の社長室に入りこんで短銃自殺した事件があったころ、朝日は右翼のターゲットになっていて、連日、築地の本社前に街宣車が何台も来て怒鳴っていた。阪神支局で記者が殺害された事件もそうだが、そういう風景を私らの世代は見慣れているが、平和と豊かさの中で育った若い記者には気の毒な体験ではあろう。ここは委縮せずに頑張ってほしいと思う。恐怖で筆を曲げるのが最も良くない。新聞社も鷹揚な態度でこうした威嚇行為を放置せず、もっと法的な対策を強化したほうがよい。黙っていれば付け上がるものだ。

 

最後にもうひとつ。木村社長の公衆の面前での謝罪が、朝日叩きをすることで利益を得る勢力によって利用されたため、なぜこのタイミングで謝罪したのかと、いう疑問の声が内外のメディアから上がっている点だ。

私もそう思う。時代は朝日に逆風が吹いていた。安倍政権が単独過半数を取り、日本の右傾化が加速する中で、池上氏の原稿掲載拒否を巻き込んだ記事訂正の不手際を見せて、世論の信頼を失った。

そんな中の土壇場での社長謝罪劇は失敗だった、といわざるを得ない。朝日は戦略を失ったまま無条件降伏をしてしまった。政治部出身の木村氏はまさか政治音痴ではないかと、私などは疑った謝罪会見だった。誤報検証の第三者委員会では、社長が記者会見で謝罪するに至った経緯を調査し、読者に事実関係を報告して欲しい。

 

  *   *

なお朝日謝罪事件と米国のニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなどの新聞が政府の圧力を跳ね返し、大統領を辞任に追い込んだ物語や英国公共放送BBCがイラク戦争の大量破壊兵器はなかったというスクープで、イラク戦争の評価を書き変えて欧米ジャーナリスズムの金字塔の物語を日本と比較してみようと思う。

               (柴山 哲也)

 

| - | 14:13 | - | - |
やっと2013年が終る
 今年はアルジェリアで日本人人質のビジネスマンが、多数、テロの犠牲になってなくなりました。
かつてアルジェリアなど、北アフリカのルぷルタージュをやってきたジャーナリストとして、深い哀悼の意を表します。
資源もない小国の日本が欧米のようなテロもなく治安もよく、豊かな国で、国民はそれなりの幸せ感を享受しながら、生きて来れたのは、「ここは地の果て」といわれるサハラ砂漠をいただくアフリカの辺境のような場所で、危険を冒しながら資源獲得のために働いている多くのビジネスマンの方々の犠牲の上に成り立っていることを、改めて認識させた事件でした。

 3.11と原発大事故の後遺症を引きずる日本の明日を予感させる不幸な事件でした。

 その後、消費税が上がり、安全性を犠牲にしても経済効率と金儲けが大事といわんばかりの原発再稼働論が幅をきかせるようになり、多数派を獲得した自民党政権の奢りとしか見えない政治家の言動も目立ちました。

 被災地は3年目を迎えるのに、未だに復興をどうするかという議論が続いています。阪神大震災のとき3年後の阪神地方は、すでに目覚ましい復興を遂げていたと思います。驚くべき政治の停滞です。ロシアの保守系の方々から、日本の被災者、難民を受け入れよ、という要求が出て来たという話まで聞きます。原発事故と被災地への海外の関心がいぜんとして高いのです。

 しかし政治の動きは異質な方向へ向かっています。中韓との領土問題をめぐる紛争解決のために軍事的備えを重視し、日米同盟を強化して米国の後ろ盾で戦争準備に入る動きではないかという疑念が広範に芽生えています。

 平成の治安維持法とまでいわれる秘密保護法が国会をあっさりと通過し、国民はいつ嫌疑を受けるかもしれない脅威を感じているとき、安倍首相は靖国神社に参拝しました。私の身うちにも戦争犠牲者がいて、靖国には何度か参拝しています。しかし違和感のある神社です。あの神社には遊就館というところがあって、大東亜戦争は正義の戦争であったとし、アジアへの侵略ではなく、欧米列強の植民地から解放のための聖戦だったという主張がなされています。
 いま靖国にいる身内は、娘が生まれて間もなく南方戦線へ配属され、戦死しました。補給が断たれた南太平洋の孤島の苛烈な戦闘で斃れたようですが、一枚の死亡通知が届いただけで、詳細は知れず遺品も遺骨も何もありません。
 戦後を生きて、辛い思いをした娘のほうは父親の顔も覚えてはいませんが、8月15日には戦死した父を追悼して黙とうしています。しかし靖国には参拝しないといっています。もう国に騙されたくない、騙されたのは父親だけで十分、という理由です。

 太平洋戦争で亡くなった方々、靖国の日本人兵士に対する尊崇の念を首相が示すなら、ぜひアルジェリアで犠牲になった方々へも尊崇の念も示してほしいと心から思います。アルジェリア事件は、まだ一年前の出来ごとですが、最近はマスコミの話題にも上らず、すでに忘却の淵に沈んでいるような気がします。
 安倍首相が今の政治姿勢を続けるなら、オバマ大統領の広島、長崎訪問も実現はしないのではないかと危惧します。このままでは世界平和への貢献もできないでしょう。

 あんなこと、そんなことを思い出すにつけ、2013年は心がくじける出来事が多すぎたので、このブログの更新もしませんでした。いまやっと2013年が終る、という思いです。私にとっての今年は、主としてアルジェリアでテロの犠牲になった方々を追悼する1年でした。         
                                                                       ジャーナリスト 柴山 哲也

 
 

 
 
| - | 19:53 | - | - |
アルジェリア事件のツイートから  柴山哲也
 

サハラ砂漠の砂の結晶 砂漠のバラ


 1月16日に起こったアルジェリア人質事件の内外の報道をウオッチしてツイートした回数が、29日までに43回になりました。私は80年代にアルジェリア、チュニジアの北アフリカから西アフリカのセネガルを回るアフリカのルポルタージュをしたことがあり、今回の事件で蘇り、こみ上げてくる記憶の中に、事件の背景を解くカギがあると感じています。このときのアフリカ・ルポはアイコンに使っている拙著『キリマンジャロの豹が目覚める』で詳細に書きましたが、この本はすでに絶版になっており、読んでいただけないのは残念ですが、このツイートのまとめで、何らかのアルジェリアに関する情報の手がかりを発信することができれば幸いです。

 日本人の人質の方が無残にも10人もなくなり、残念の極みです。哀悼の意を表するとともに、アルジェリアとはどんな国で、なぜあのような事件が起こったのか、真相を解明する必要があると心から思っています。

写真はサハラ砂漠にある「砂漠のバラ」と呼ばれる砂の結晶です。取材の記念品です。砂漠の風に吹き飛ばされた砂が長い歳月をかけて結晶したものです。


1月17日

アルジェリア政府が強行突破したようだが、人質の生命はどうなったのだろうか。情報が錯綜するというか、正反対の情報が行き交う。情報を発信する場が違うと、ニュースも正反対になる。人質解放?人質の死亡?ニュースは一つではないことを、この事件は教えている。考えないとニュースはわからない。


アルジェリアというと2つのフランス映画を思い出す。「ペペルモコ」と「シェルブールの雨傘」。ジャン・ギャバンとカトリーヌ・ドヌーブ。人生の陰影、深さと悲しさが溢れていた。そのアルジェリアは、フランス植民地から激烈な解放戦争をして独立した。戦時、地中海は血に染まったといわれている。
 
「シェルブールの雨傘」は可憐なカトリーヌ・ドヌーブと雨傘のカラフルな色彩が美しかった。若い恋人たちはアルジェリア戦争で引き裂かれる。
 ならず者のジャン・ギャバンは地の果てアルジェリアの貧民窟カスバで死ぬ。
 「カスバの女」の歌を彷彿とさせる映画だった。



セネガル大統領だったサンゴール氏にインタビューしたとき、「世界の中心は地中海で地中海文明が世界を作ってきた」といった。アフリカも世界史の一角を担っているといいたかったのだ。辺境のアルジェリアだが、石油、天然ガスの国というだけでなく、世界を混乱と動揺に直面させている。
 アフリカにおけるイスラムの影響力は、1960年代のアフリカ独立の時代に大陸全体へと広がった。西欧植民地がキリスト教を拡大させた反動としてイスラム原理主義が拡大。昨年出した拙著『日本はなぜ世界で認められないのか』(平凡社新書)で、こうした北アフリカ・マグレブのルポをまとめた。


アルジェリア取材の経験から、この国は硬い唯我独尊のイスラム国だ。植民地の過去から反西欧、反米感情は強い。外国プレスの監視は北朝鮮より厳しい印象だった。人質事件で欧米の介入をよしとせず、自国軍が強行突破、多大の犠牲を出した背景に、この国の歴史が深く関わる。世界は難問に直面している。


アルジェリアは石油、天然ガスしか目立った生産物はなく、政府は石油や瓦斯を外国に売って国を維持している。石油の金は上層部の間で回り、若者は役人になるかホテルに勤めるしか職はない。失業中の若者たちは町をぶらぶらし、役所の前の石畳に座っている。首都アルジェではそんな風景ばかり見た。

1月18

アルジェリア取材でアルジェリア外務省と報道許可をめぐる交渉を何度かしたが、返ってくる答えは、フランス語で「アブソリューマン・パ」(絶対にダメだ)という言葉だった。仕方なく目につかないように写真を隠し撮りしたものだ。写真を撮るたびに、背後の人影が動いた。北朝鮮のほうが取材はしやすかったのを覚えている。

 
 アルジェリアは自主管理社会主義を標榜、ユーゴのチトー主義の影響を受けてソ連とは距離を置いていた。北朝鮮とも友好関係があり、アルジェリアの政治犯を北朝鮮の収容所へ移送するという話も聞いた。
 経済は悪く、物がなく、スーパーには食品はなく、サンダルだけが並ぶ風景や、野菜には草が混じっていた。



西アフリカのセネガルの首都ダカール沖に奴隷島という島がある。昔、捕えられた奴隷が”出荷”された場所だ。ダカールから隣国のマリをつなぐ鉄道があるが、これは宗主国フランスが敷いたもので、マリから奴隷島の海岸まで一直線に伸びている。資源と奴隷を港へ運ぶための鉄道だったといわれる。アフリカの西海岸では、廃墟になったこんなレールがたくさん見つかる。


 
 人質事件収束後、英国キャメロン首相がアルジェリアを訪問したが、その目的はBPの権益の擁護とマリの仏軍支援だといわれる。マリにはウランとレアメタルがある。この争奪が背景にある。
 私が北アフリカのマグレブから西アフリカを取材したとき、朝日新聞文化欄に「噴出する反西欧」というシリーズを書いたが、当時、アフリ諸国は植民地から独立して20年余、南アではアパルトヘイト廃止のうねりがあった。ネルソン・マンデラはまだ獄中にあった。



1月19日

フランス大統領はアルジェリア政府の強硬策支持を言明している。人質の命よりテロリストを壊滅させ、国益を守ったことを評価している。フランスがアルジェリア独立戦争時、特殊部隊の強硬なアルジェの戦いを指導したのは、保守のドゴール政権ではなく、左翼政権だった。左翼必ずしも平和主義にあらず。マリを空爆するフランスは左翼のオランド政権だ。


予想したことだが、人質事件で中東へのエネ依存を下げるべきというTVコメンテーターが出て来た。だが問題の本質をずらしてはいけない。エネだけの話ではない。これからの日本人は海外で仕事しないと生きてゆけない。日本人のリスク感覚は甘すぎる。正確な情報網と救援システム構築が最重要課題だ。


アフリカでは人質事件や思わぬゲリラとの遭遇がある。欧米系の企業などは、退役軍人を雇い突然の軍事作戦に備えているところもある。フォーサイスの世界ではあるが、小国の場合は傭兵によるクーデター事件まで起こる。海外の日本企業は頼りにならない政府に依存せず独自のリスク管理を行う必要がある。


120

NYタイムズによれば、アルジェリア軍の最終作戦で、少なくとも23人のテロリストと人質が死んだと当局者が語ったという。敵味方の判別はつかないようだ。nytimes.com/2013/01/20/wor



 

情報の錯綜といって誤魔化していたが、結局、最悪の結果になりつつあるようだ。事件が起こったときに、英国首相が話していた懸念が正確な状況を掴んでいた。さすが諜報機関の国、といっては失礼だが、伝統ある情報大国だ。一体、日本政府は右往左往するだけで会社任せで、何をしていたんだ。


日本人の犠牲は最悪の結果になり、危機管理能力が問われる。18日の初期段階で米国は現地イナメナスに、英国やノルウェーも近郊まで医療救援機を飛ばした。日本にもガルフストリームはあるが機能しなかった、と小川和久氏のメルマガ「ニュースを疑え」(1月29日号)が指摘。専門家欠如が原因だ。


イナメナスに飛んだ米国救援チームは、現地で解放された人質をのせてドイツまで運んだという。アルジェリアの医療は信頼性が低く、手術を必要とする手当はフランス、ドイツまで飛ぶしかない。
 アルジェリア在住の日本人は、まさかの時のために、パリ行きの航空券とパスポートは肌身離さず身につけている。危険地域で仕事をする邦人がいる場合、負傷者の手当の場所も危機管理の重要要素。日本には何のマニュアルもないようだ。


アルジェリア事件で、日本が現地から撤退する話をするTVコメンテーターがいるが、いくらご都合主義とはいえ考えてものをいえ。石油、天然資源の宝庫のアルジェリアから一時的な避難はあっても、撤退すれば日本の後を狙う国や企業は山ほどある。現地の治安維持と危機管理能力を高めるしかない。



1月21日

  アルジリアの報道ビザが降りないらしい。かつて私は、東京のアルジェリア大使館で報道ビザを取得し入国。アルジェリア外務省に行くと東京取得ビザは認知できないといわれてやむなく出国、パリのアルジェリア大使館で再取得した。悪戦苦闘の事情は拙著『日本はなぜ世界で認められないのか』で書いた。


アルジェリア政府は人質犠牲者の国別数を公表していないが、日本人が最も多いのではないかと推定できる。反欧米の思想が強烈なこの国で、かつての日本は原爆を浴びながら欧米と並ぶ経済大国になり、尊敬の対象だった。無愛想だが親日の国なのに、なぜ日本人犠牲者が最多だったか、背景分析を急ぎたい。


救援にも行けないので自衛隊法を改正するとかいうが、法改正すれば事がうまく運ぶのか。軍事作戦ではなく、自国民救済のために関係国は飛行機を飛ばしている。何もできない日本はアルジェリア政府に要請したり米仏に依頼するのみだった。法改正より能力の問題ではないか。
 

 


1月22日

 アルジェリアの犠牲者の中に、東北の被災地出身の方がおり、残された老母が仮設住宅で泣き崩れる映像を見た。なんていう残酷な現実なんだろう。言葉もない。公表された数字を見ても、犠牲者の7割以上を日本人が占めている。なぜ悲劇が量産されたのか。放置はできない。責任を追及しないといけない。


大戦時、中国戦線を取材していた米国記者エドガー・スノーは、日本軍の戦闘能力は高いが大局の視点に欠けてバラバラな戦になっていると、『極東戦線』という本で書いている。兵士個人の能力は優れているが自分の部隊と上官しか見ていない。自分の一階級の昇進にしか関心がないようだ、と。なるほど。



1月23日

  アルジェリアの状況が日を追うごとに苛酷な現実を突き付けてくる。情報が錯綜するのではなく事実が確認できないことだ。しかし事実の確認の前に想像力が働かなければならない。事実は想像力の中に存在し得る。苛酷な事実に追い回されて想像力を失う愚かさが繰り返される。原発事故のときもそうだった。


今回の事件では、人質の犠牲を出したにもかかわらず、テロリストをほぼせん滅させたアルジェリアの軍事行動に対して、米英仏などの関係国は概ね支持をしているが、平和憲法を持つ日本は、軍事に走って人質救済の努力を軽視したアルジェリアに対する批判と抗議を継続的に行う必要がある。


日本のマスコミ各社はフランス軍が介入を続けるマリへ入ってルポをしている。仏軍管理下の地域だから取材がしやすいのかもしれない。戦時下マリは相当な惨状呈している。自由の国フランスだが、アルジェリア独立戦争で解放戦線に激しい弾圧を加えたのは、左翼政権だった。仏左翼政権の限界なのか。



1月24日


 アルジェリアの新聞がゲリラの標的は英仏と日本だったと犯人が自供、と報じた。親日のイスラム圏で日本がテロの明確な標的になったのは初めてではないか。戦闘に巻き込まれた犠牲者はあったが。私の取材体験からもアフリカのイスラム圏の反欧米に対し、大統領からゲリラまで親日ぶりは確固としていた。

 山本美香さんがシリアで銃撃されたときも、日本人ジャーナリストがなぜ、と思った。これまでとは違う不気味な国際関係の変化を感じた。


 日本人も人質の標的だったとアルジェリアの新聞報道。かつてアフリカの戦場を取材していた先輩記者は、戦場でゲリラに遭遇しても日本のプレスだと名乗り、日本のパスポートを見せれば釈放してくれると話していた。いつからその親日が逆転し、狙われる欧米の仲間入りしたのだろうか。


 1月25日

  中東アフリカのイスラム圏の取材は商社、水産業、航空会社、NGOなどの世話になりながら、細部の情報を得ていた。安全情報は外務省より遥かに的確だった。大使館、領事館はビザ確認で行く程度だったが、大局のリスク情報は国家機関の役割のはず。アルジェリア事件で外務省は何を掴んでいたんだろうか 


 欧米諸国では日本は敗戦国で、軍事的には対等なパワーとはみなされていない。しかし非西欧地域ではそれがプラスとなり、植民地経験もない中東アフリカで親日の経済圏を作ってきた。しかし日本の経済力衰退に代わりアフリカには中国が進出し、親日の度合いがまるで薄れている。そこに落とし穴があった。


人質事件現場では襲撃の翌朝、37人の外国人人質が集められ、車で移動させられたさい、日本人だけ名乗り出るよう命令されて車列の先頭に乗せられたという。その車列をアルジェリア国軍が空爆したのだが、車列の先頭に日本人が乗っていることを、アルジェリア軍は知っていたんだろか。ここは疑問点だ。


隔世の感。かつてホメイニ革命のイランで米国大使館で長期にわたる人質事件が起こり、イランの友好国のアルジェリアが事件解決の仲介をして人質をアルジェリアに移送、米国に送還したことがある。
 この人質解放のころ、私はアルジェにいた。拙著『日本はなぜ世界で認められないのか』(平凡社新書)でこの間の経緯を書いたが、今では考えられない。


「カスバの女」という流行歌があるが、あれはアルジェリアを舞台にしている。植民地戦争下のアルジェリアの外人傭兵と酒場の女の物語。日揮の方々は酔うとこの歌を口ずさんでいたとう。ここは地の果てアルジェリア、と。カスバは貧民窟だがいまでもある。
 アルジェリア独立戦争の英雄アリはカスバの貧民窟から生まれ、若者の憧れだった。アリは教育のないならず者だった。獄中で革命戦士に目覚めた人物で、南アのネルソン・マンデラと同じだ。
 カスバせん滅作戦でアリを殺害したとき、フランスはアルジェの戦いに勝利したと祝杯をあげた。


アルジェリアの報道ビザを東京のアルジェリア大使館で取得して、取材に出かけたがアルジェリア外務省は東京の同国大使館発行の報道ビザを認めなかった。日本の大使館に出向き、交渉したが、結局、出国してパリのアルジェリア大使館でビザを再取得した。日本大使館や日本外務省の無力を見せつけられた。


以下はツイッターにおける会話。

内藤さんのことは知らないが、学のあるなしでなく、かつては概ね親日だった。しかし現地の親日事情が変化した認識こそ必要だろう。@reservologic同志社大学の内藤正典氏は、アルジェリア武装勢力のメンバーは、学がないのではないかと。学のあるイスラム教徒なら、日本人は絶対標的にしない。

そのとうり。@shimazu_norie 「ここは地の果てアルジェリア」に行くなんて、生きて帰ってきてね。テロが悪いのは当たり前だけど、なぜ、テロが起きるのか、その原因を究明しないとね。


人命最優先の日本に対して空爆したアルジェリア国軍。人命への思想が根本で異なっている。その理由は植民地独立戦争の時代にさかのぼるだろう。人命優先思想は西欧ヒューマニズに基づくが、反西欧のアルジェリアではそれが通用しない。
 山本美香さんがシリアのアレッポに入って殺害されたことを思い出す。仏軍管理下の地域だから、従軍取材なら安全で取材がしやすいのかもしれない。戦時下マリは相当な惨状呈しているが、山本美香さんのジャーナリスト魂を改めて思う。
 自由の国フランスだが、アルジェリア独立戦争で解放戦線に激しい弾圧を加えたのは、左翼政権だった。マリの軍事作戦をやっているのはオランド左翼政権だ。仏左翼政権の限界なのか。

 独立戦争で100万が殺された国でヒューマニズムは育ちにくい。




1月27日

原発がなければ日本経済は成り立たないという原発至上主義者たちは、アルジェリアのような辺境で命を賭けて石油やエネルギー資源を日本へもたらした人々の努力を軽視していたのだろう。日揮という会社の存在を今回の事件で初めて知ったという人が多いのに驚く。日本人は日本のことを知らなさすぎる。


シリア内戦が同胞間の殺戮と報復になっているとNHK深夜の番組が伝えていた。シリア市民が撮影した動画は子供が殺されてゆく惨状を報告。アサド側から寝返って自由シリアのゲリラになる軍人も多数いる。独裁者に反抗したゲリラ部隊が行き場を失うとアルジェリア事件のようなテロを起こす。負の連鎖。


アルジェリアがどこにあるかも知らなかったマスコミ人が、急遽、取材するのはいいが、報道ビザはほとんど降りないから、とりあえずパリやロンドンに行く記者がいるようだが、パリに住むアルジェリア移民を取材しても、おそらく本国の事情はわからないだろう。パリ観光で帰国の羽目になりかねない。




1月29日

日本のプレスといえば、どこの国へ行ってもいわばフリーハンドを持っていた。中国、北朝鮮の取材でも、他の欧米諸国に比べればはるかに自由な取材ができた。アルジェリアでは報道ビザで揉めたが、ビザを整えたあとは自由に取材した。今、欧米並みの風当たりに日本のプレスも直面している。なぜか。


茹で蛙といいますよ@FIFI_Egypt 平和ボケとはまともな情報が流れてこなくて、娯楽ばっか与えられて、いつしかモラルすらこだわらなくなって、それを平和と思い込まされてて。水面下でうごめく危機に気づか無くて、いや気づか無いように教育されて。気が付けば時すでに遅しの状態のこと。

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マスコミの規制緩和
 

竹中平蔵氏に問うーーメディア改革も急務だ

 

民主党政権下で最も安泰だったのはマスコミ業界ではなかったか。マスコミと記者クラブに批判的だった小沢一郎氏が追放された後は、菅政権、野田政権ともに有力政治記者との懇談会を開くなどして、新聞やテレビ業界との蜜月関係を作り上げた。

 実はTV界を筆頭とするマスコミが最も逆風にさらされたのは、自民党の小泉政権や安部政権時代だったことは意外に知られていない。

 2005年、海老沢会長下のNHKで不祥事が頻発したとき、小泉郵政改革を仕切った竹中総務相は、TV界の改革に乗り出し、NHK民営化論が噴出したことがあった。

 2006年に向けた自民党政府の「骨太の方針」の中に、竹中総務相は「放送と通信の融合懇談会」を設置し、マスコミの規制緩和に乗り出したのである。

 民間でできることは民間で、という小泉路線のもとでは、NHKも当然民間でやれ、という政治圧力が生まれたのは当然の成り行きだった。

 しかし、大新聞やマスコミ関係者の間で猛烈な反対が起こり、NHKが民営化すると他の民放経営を圧迫するとか、NHKの公共性が失われるなどの世論の反対もあり、この計画はとん挫した。その後の日本では、政治家の口からマスコミ改革やメディアの規制緩和が正面切って出てきた試しはない。マスコミを敵に回す愚を政治家は初めて気がついたのかもしれない。

 田中角栄のテレビ局支配以来、マスコミは政治家の手の平の上で踊っていると誰もが思っていたが、時代は変化していた。記者クラブを介してマスコミは政治家ではなく、霞が関官僚、とりわけ官房機密費などの金を握る財務省の手の平の上で踊るようになっていた、というわけである。

 

 当時の竹中氏のマスコミ改革の目線は、記者クラブ解放というレベルの内部改革志向ではなく、もっとグローバルな産業レベルの変革を求めたものだった。

 竹中氏は、日本にはなぜタームワーナーのような巨大メディア会社が生まれないのか、と記者会見で問いかけたが、霞が関の役所にある記者クラブで守られた新聞記者の中に、その真意を理解した者はいなかった。

 

 私は竹中氏の政策には批判すべき部分は多々あると思ってきたが、日本のマスコミ改革の提案には基本的に賛同していた。なるほどNHK民営化論は公共放送の観点から見れば問題が多いし、NHKと同様の英国の公共放送BBC対してサッチャーが試みた民営化構想も失敗した経緯がある。

 しかし昨今のNHKがBBCに匹敵するほどの公共放送の中身を維持しているかといえば、そうは思えない。確かにNHK報道の中には、民放が逆立ちしても敵わない質の番組もあるが、いまやそういう番組は希少でしかない。多くのNHKの報道や番組は、概ね、民放でもやれる程度の質でしかないと思う。

 

 それよりも現在のTVをはじめとする既成メディアの番組や報道の大多数は、報道の名に値しない愚にもつかない言説を垂れ流し、独りよがりで世界性や普遍性がなく、自分の組織利益を守るのに汲々とし、既得権益を擁護して、視聴者の期待を裏切り、国民に嘘を伝え、事実と真実から遠ざける報道が多すぎる。権力側の情報操作や既得権のPR機関にすぎない、と思わせる報道や番組があまりにも目立つのである。

 とりわけ、3.11を境にした報道、福島第一原発事故をめぐる報道やその後の原発再稼働をめぐる問題等では、国民の目から事実を隠ぺいする報道が目立った。放射能汚染の迅速な情報は国内メディアからではなく、概ね、海外メディアからもたらされた。

私は3.11以降の日本の報道の堕落について、『報道ウオッチ 3.11』というiPhonやインターネット販売の電子本を書いて、アップルストアに置いた。活字メディアといえど、既成の紙媒体だけではなく、ネットを使わないともう駄目だ、と思ったからである。

 

 竹中氏のメディア改革ので最も注目すべき点は、「日本になぜタイムワーナーがないのか」という部分だ。タイムワーナーとは米国の巨大メディアコングロマリットで、GEとかディスニーとかニュースコーポレーション等もそうだ。

 日本の既成メディア企業は新聞・テレビ・出版を併せても4兆円レベルの市場規模で、せいぜいトヨタ1社の3分の1か4分の1程度でしかない。1社の総収益が兆ドルレベルに達する世界のメディアコングロマリットとは比較にならないほど、小規模なのが日本のメディア産業である。

 

 バブル時代の日本のメディア産業の規模を分析したMITのウエストニー教授によれば、日本の広告産業の市場はGDP比でいうと、米国の4分の1で、当時のブラジル並の途上国レベルの規模でしかないと分析している。

 なぜ広告市場のサイズが小さいかというと、日本の広告産業が極めて自閉的で国際化しておらず、電通、博報堂という2大広告会社に牛耳られているからだ、という。

 要するに日本のメディア産業は規制だらけで成立しており、広告は電通、博報堂の2大広告会社の寡占体制から解放され、グローバルなメディア産業へ脱皮しない限り国際的にサバイバルできない、と指摘しているのである。

そのためには官僚に牛耳られたメディアシステム(電波利権)の規制緩和が必要だし、大新聞が株主として民放各社を系列の子会社にして支配しているメディアのクロスオーナーシップを禁止する必要があるのだ。例えば、再販価格維持制度ひとつ見ても、大新聞は規制で守らているのだ。

このたびの消費税アップの中で、新聞だけが消費税を逃れる可能性があるのも旧体制と新聞の癒着が伺える。 

 

 記者クラブが日本的メディアシステムの弊害の最たる部分であることは確かだが、もっとグローバルな視野から日本のメディア改革を論じる必要がある。

 メディア改革をしなければ、たとえ経済が一時的に好転したとしても、内向きな日本の姿勢が変わることはない。日本人の内向きメンタリティが変わることもない。

日本という閉鎖的で内向きな国と国民文化に新しい知と血を導入するには、まずもってメディア改革を断行する必要があるのだ。

 

 竹中氏が安部政権でこのたび復活するならば、自らが数年前に着手しようとしたメディア改革のことを忘れるべきではない。あの時は、郵政民営化の次はNHK民営化だという、単なる思い付きでメディア改革を提唱したのであれば、やはり竹中氏が口にする改革は信用できない。

メディア改革の課題は、目先の経済問題以上に、日本の将来にとって重大なことではないかと思っている。あえて竹中氏に問うゆえんである。

 

以上の論点に関して、私は以下の著作で様々な視点から論じている。

『日本はなぜ世界で認められないのか』(平凡社新書)

『日本型メディアシステムの興亡』(ミネルバ書房)

『日本型メディア・システムの崩壊』(柏書房)

『戦争報道とアメリカ』(PHP新書)

『日本のジャーナリズムとは何か』(編著、ミネルバ書房)

 

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