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世界遺産としてのビキニ環礁と日本の立場
 瓦礫処理にも外交能力が必要だ
 

日本は福島第一原発由来の放射能汚染瓦礫、焼却灰、除染土砂などを捨てる場所がなくて困り果てている。

 仕方なく、非汚染地帯の西日本を含め全国各地に汚染瓦礫の焼却を平等に配分してことを、まるく収めようとしている。

 しかし税の負担とは違い、放射能は人体へどんな影響を与えるか未知数だ。日本政府は軽濃度といっても測定方法やサンプリングの仕方で多様な数値が出るし、年齢や個人差で体内被曝の仕方も変化する。

いくら被災地支援といっても、命を投げ打ってまで引き受けてやろうと考える人は少ない。このため、全国のあちこちで放射能瓦礫の自治体への押し付けに反対する住民運動が高まっている。

 

 狭い日本列島のどこに行こうと、過疎地の離島であっても人が住んでいる。無人島のような島は尖閣諸島くらいのものだろう。

 そこで尖閣に自衛隊を派遣して領土防衛するよりも、いっそ放射能汚染瓦礫や焼却灰を尖閣諸島に捨てることで、おのずと中国は自国領土だというのをあきらめて、日本は尖閣の領有権を永久に保守できるというものだ。

 

 それはさておき、南太平洋にはかつて戦勝国の米英仏が繰り返した核実験の遺跡がたくさんある。

 1945年の広島、長崎原爆以降、世界で行われた核実験回数は2379回といわれ、その中の多くが日本から遠くない南太平洋で行われている。

 

 ビキニ環礁では米国が67回、ムルロア環礁ではフランスが160回以上、クリスマス島やオーストラリアの砂漠でイギリスが45回の核実験を南太平洋で行ってきた。

 

 ビキニ環礁の核実験では日本の漁船が被曝して久保山愛吉さんが死亡するなど日本世論に大きなショックを与えた。

 そのビキニ環礁のあるマーシャル諸島を取材したことがあるが、現在でもここの放射線量は高くて人が住めるレベルにはない。恐らく半永久的に人が定住して農業や漁業で生活できる島には戻ることはなかろう。

 

 しかし約半世紀以上を経た現在、限られた日数なら人が滞在できる程度にまで線量は下がっている。滞在用の観光ホテルも出来ていて、ダイビングなども可能になっている。

 

 ビキニ環礁は人類の負の遺産として、近年、ユネスコの世界遺産に指定された。核実験という愚行によって破壊された海洋環境汚染のシンボルになっている。

 

 いま日本は世界が注視する原発大事故の処理で困窮している。

汚染瓦礫を人が大勢住む地域に捨てるしか方法がないところへ追い詰められている。

瓦礫や食品汚染の拡大で、多かれ少なかれ、日本国民は何らかの被曝をすることになり、広島、長崎から66年目に二度目の原子力災害に直面してしまった。日本国民は、自らが仕出かした事態とはいえ、この原子力災害からの救済を世界に求めるしかない。

いくら頑張ってみても自力救済には限度があるだろう。

 

そこで核の負の世界遺産に今の日本が貢献できることは、日本がここへ積極的に関与し負の遺産を保全する役割を果たすことだ。

 

実際のところ、汚染瓦礫はすでに汚染された場所にすてるしかない。汚染処理のために新たな汚染地を作ることは道理に反している。

 

多額の援助金を餌にモンゴルに放射性廃棄物を廃棄する案が出されたことがあったが、モンゴルの反対でとん挫したのは当たり前のことなのだ。

 

ビキニ環礁あるいは南太平洋の核実験汚染で人が定住できなくなった場所に、低濃度の汚染物質に限って、福島原発由来の汚染物質処理を依頼する道を探すことを考えたらどうかと思っている。

戦後、日本の平和主義と日本経済の発展は世界に大きな貢献をしてきた。ドイツがナチズムを克服したのと同じように、日本は世界平和に寄与したはずだ。

これまでいくぶん自虐気味に生きてきた日本人が、困窮した現在、サバイバルのための若干の要求を世界に行っても良いのではないか。

 

米国は日本へ原爆を投下し、原発を日本へ持ちこんだという責任がある。このさい米国との交渉力が第一のカギになろう。外交交渉とは、何を守って何を譲るかである。得るものが大きいときは、失うものもある。その優先順位をどこに求めるかだ。

 

これには他国や現地とのパワフルな外交能力、説得能力が必要となるので、それほどたやすい道ではない。

第一に、世界世論は日本が明確な脱原発宣言をすることを要求するだろう。

 

| - | 11:19 | - | - |
マスコミは政治テロリストか

政治の正常化よりマスコミ正常化が先だ!

  3.11から半年、時間は止まったまま

 3.11から半年になる。政治の混乱で被災地は放置され、原発事故は悪化しているのか、収束に向かっているのかすら分からなくなってきた。
 外国の大使館が家族を遠隔地に移動させたとか、チャーター機を飛ばしてきている等の情報があると、すわ!水蒸気爆発か何かあるのか、と不安を募らせて勘繰るのだ。
 テレビは特集を組んで相変わらずの大津波映像を繰り返し流し続けている。米国の9.11の時は、ツインタワーが崩壊する映像は被災者のトラウマを助長するので、すぐにテレビ局は使うのを中止した。
 日本のテレビはそういう点は全くの無神経だ。
 
 半年後、どれだけ被災地が変わったかというと、仮説のスーパーができたとか、瓦礫の量が減ってきたとか、道路が通行できるようになったとか、震災後10日目というならわかるが、半年後の成果というにしては、復興どころか被災者の日常生活すら正常に営まれてはいないことがわかる。  

 復興には金がいる、というので政治家も政府も財源の話ばかり議論し、復興税だ、消費税だと騒ぎ、会議や委員会が林立し、マスコミも増税世論を駆り立てている。地方は地方で国のカネが回らないと何もできない、と悲鳴をあげる。会議と企画、プロジェクトで仕事をした気分になっている。そういう官僚文化が横行しているが、実は何もしていない。
 原発事故は手の施しようもなく、外国政府は息をのんで見守っているようだ。もしもの事態が起こって、福島の4号機あたりが水蒸気爆発でも起こせば、チエルノブイリをはるかに上回る大量の放射能が地球上に放出される。
 そうなれば3000万首都圏の人々もどこかに逃げなければならない。
 現状でも広島原爆の168発分にあたる放射能が外に出ている。大気汚染、海洋汚染、土地汚染はそんなに軽度なレベルではない。住民の被曝は避けられない。

 にもかかわらず、脱原発、自然エネルギーを主張して浜岡原発を止めた菅総理が、与野党連合、官僚、マスコミの総意で引きづり降ろされた。
 菅さんの最初の政策には問題があった。原発事故に際して放射能の飛び散る方向予測のSPEEDIの公開をしなかったこと、メルトダウンの予想がありながら、国民に知らせなかった等は、大きな失政だ。
 片腕の枝野官房長官は「ただちに健康に影響はない」を繰り返し続けた。

 それはおいても菅さんが脱原発、再生エネルギーを主張し始めたとたん、上記のような失脚の羽目に陥ったのだ。

 失脚した菅首相の後を襲った野田首相は、一見、原発推進派に見えたが、経産相に鉢呂氏を起用した。その鉢呂氏は、就任早々に脱原発を明言した。

 その鉢呂氏は就任9日にして、わけのわからない新聞記者との私的記者会見のやり取りで、子供の喧嘩のような内容のない失言とかで、大臣を辞任した。というより首になった。

 辞任の記者会見の様子をUストリームで見たが、ヤクザもどきの言葉遣いで鉢呂氏に詰め寄る記者の言葉は驚くべきものだった。
 「説明しろ、てんだよお」と怒鳴っているのだ。何を説明していいのか、怒鳴られたほうはわからないだろう。

 この手の記者に脅されて失言の言質を取られ、新聞に書かれて、むざむざ生首を取られたのであろう。

 長年、新聞記者をしていたが、あれほど酷い記者会見は見たことはない。荒れる記者会見はあったが、だいたいは会見する側が声を荒げたものだ。

 あれは件の記者が一人でやったものだろうか、と考えるともっと裏があると感じる。
 鉢呂氏辞任の記事は大新聞もNHKも民放テレビも、ほぼ同じこと書いていたからだ。伝言ゲームのように少しづつ失言内容は違っていたが、口合わせは出来ている。

 やはり菅さんのときと同様に、鉢呂氏は原子力村に追い落とされたのだろう。そう考えるほうが自然だ。その先兵になったのが経産省記者クラブの面々だと、多くの脱原発派の識者が分析している。記者も原子力村に居れば利権にもかかわる。

 それで鉢呂降ろしの筋書きは理解したが、いくら原子力村の利権がからんでいても、政権交代したばかりの内閣の足を、こんな瑣末な「言葉狩り」で引っ張ってもいいのだろうか。

 早速、ウオール・ストリート・ジャーナル電子版は、「こうした繰り返しで日本の政治能力はますます弱体化し日本の国益を損なうだろう」と書いている。

 原子力村の政財官学マスコミ連合軍のメンバーは、日本国内では敵なし、総理も大臣も首に出来る権力を握っているかもしれにが、その力の遣い方を間違えて、肝心の国益を損なっていることには、気がつかないようだ。
 内にしか目が付いてない輩には、外が見えない。外メクラなのだ。

 円高は止まらず、株安も止まらない。経済は大ピンチである。
 折から、中国の軍艦が尖閣諸島に接近し、ロシアが日本列島を取り囲むようにして空中演習をしている。韓国も様々な対日戦略を仕掛けている。
 
 要するに周辺国から嘗められているのも国益を損なっている証拠だ。

 内輪の愚にもつかない争いを繰り返し、被災地を放置し、原発事故も収束できない、その目途も立てられない日本の政治の貧困は救い難いレベルにまで達している。



 

| - | 23:04 | - | - |
テレビが死ぬ日
 

地デジ化、日本のテレビの終焉なのか

 アナログテレビが終わった。

天皇・皇后両陛下の婚約、ご結婚のころ、当時の皇太子妃のミッチーブームが起こり、この社会現象の報道のなかで、アナログテレビが始まった。

 やがてアナログテレビは報道の中枢にいた新聞の役割と権威を奪い去り、大衆化社会の深化とポピュリズム政治の波にのって、マスコミの覇権を握った。これは80年代以降の現象だ。

 60年から70年代はじめ、マスコミを目指す学生で、NHK以外の民放を希望者はほとんどいなかった。就職を目指す全国大企業の人気第一位に全国紙が選ばれたこともあった。当時は、それほど新聞の人気は高く、国民の信頼度も抜群だったのだ。

 米国の新聞記者たちは、そうした日本の新聞社の姿を羨望の目で見ていた。実際、日本の全国紙はニューヨークタイムズより素晴らしい、という米国人はたくさんいた。

 日本の新聞記者たちも、さまざまな内部矛盾に直面しながらも、良きジャーナリストであろうとする一抹の矜持は、誰しも持っていた。仕事にはやりがいと張りがあった。

 

 80年代に入って日本は「坂の上の雲」を駆け上り、雲の上の虹を掴み、米国を抜き去って世界一のGNPを達成し、世界一の経済大国になった。

 米国のロックフェラーセンターやハリウッド映画を買収、ハワイのリゾート、フランスのワイン畑など世界各地にジャパン・マネーが浸透していった。やがて日米経済摩擦などの海外経済摩擦が起こり、バブル経済に突入する。

 

 バブルの時代の東京は土地が未曾有に高騰し、米国6個分が買えるというほどの土地バブル景気に沸いていた。ちょっとした2DKマンションが軽く一億円の価格だった。夜の東京はギンギンギラギラの電気が灯り、六本木は不夜城と言われた。半裸の娘たちがディスコ・ジュリアナのお立ち台で踊り狂っていた。

 

 日本国憲法を起草したGHQ民政局の故ケーディス大佐が訪日したとき、同行のベアタ・シロタさんが特にケーディス氏をジュリアナに連れて行った。

 シロタさんは日系二世の女性でGHQ時代にケーディス氏の秘書を務め、日本国憲法の女性の参政権の条項を書いた人だ。

 

 彼女は半裸で踊り狂う日本娘たちを見て、「戦後日本女性はここまで解放されたのか」と嬉しくなったといった。ケーディス氏は黙って眩しそうに見ていた、という。

 ちなみにこれだけギンギンギラギラと電気を使っていた当時の総電力量は、2009年の総発電量から原発発電量を引いた量と等しいという統計がある。
 つまり、原発がなくても1985年のバブル期程度の電力はあることになる。
 90年代の経済成長はほぼ横ばいなのに、電力消費量だけが2倍に膨らんでいるのはどう考えても理解できない。どこなにカラクリがあるのではないか。

 

 米ソ冷戦が終焉し、バブルが終わり、日本は不動産不良債権時代に入り、90年代不況に突入した。グローバリゼーションとIT革命に乗り遅れた日本は「失われた10年」に入った。その失われた10年はさらに10年延期され、「失われた20年」になったとたん、3.11大震災と世界最大の福島原発事故が起こり、現在に至る。

 

 被災地の惨状や避難民を放置して、福島原発事故の収束の目途はまったくないまま、原発推進VS脱原発が激しく争って、政治も経済も大混乱しているのが今の日本である。

 

 その原発を日本に導入するにあたって、「野獣も飼いならせば家畜となる」と新聞が水先案内を務め、無知蒙昧の大衆に原発がいかに安全なエネルギーであるかを、大いに宣伝したのが電力会社をスポンサーにつけた民放テレビだった。

 

 アナログテレビは、戦後日本の一番良い時期と最悪の時期の証言者として歴史に残っている。そしてその役割は終わった。

 

 地デジが新時代のテレビとしてアナログ時代のような成果を生み出せるかというと、ネガティブな反応しかない。

 

 いまやテレビを見るのは高齢者だとすれば、彼らはみなNHKしか見ない。NHKもデジタル化しているので、仕方なくテレビ買い替えや変換装置を付けているかもしれないが、民放テレビにはあまり縁がない。

 

 民放のオチャラカ、爆笑、クイズ、バラエティ、タレントもの等は若者が見るが、最近の若者はテレビは見ず、ネットや携帯を見ている。Uストリームやツイッターやフェースブックに入れ込んでいる若者も大勢いる。

 

 震災報道や原発報道にしても、NHKのほうが信憑性の高い情報を送り、民放はおおむね東電や保安院や政府の大本営情報から一歩も出ることはできなかった。

 

 要するに民放テレビはいくら地デジ化しても、従来の路線からの進化は期待できず、たかだか画面の鮮度が良いというメリットしか主張できないでいる。

 

 テレビが死ぬ日、という主張が米国には約20年以上も前からあった。ネットの進化でテレビは情報革命から取り残される。新聞以上に時代遅れのメディアになるのがテレビ、ということだ。

 

 米国のテレビは多チャンネル化、専門チャネル化、ケーブルテレビの普及で危機を回避してきた。

 しかし日本のテレビからはそのようなアイディアも知恵も生まれてはない。ひたすら国の免許事業に甘え、政府の規制に甘え、視聴者に甘えたなれの果てのテレビが、地デジ化でどうなるか、じっくり観察するとしよう。

 

| - | 13:56 | - | - |
イタリアの国民投票は原発ノー
 

日本はなぜ原発から手を切れないのか

 べルルスコーニ首相「イタリアは原発にさよならをいわなければならない」

 
 イタリアの国民投票は原発にノーを突きつけた。ベルルスコーニ首相は「イタリアは原発にさよならをいわなければならない」と敗北を認めた。

 日本は3.11から3カ月を経たが、原発事故はいまだに収束していない。

被災地の復興だって、原発事故が大きく足を引っ張っている。原発さえなければ、地震も津波もなんとかなったのだ。古来、地震列島に住んできた日本人は地震・津波には慣れている。

江戸時代の瓦版を見ていると、載っている出来ごとのほとんどが全国各地で起こった地震と津波の報告だ。

 

しかしこれほど大規模な原発事故は初めてだった。チェルノブイリよりはマシだと強がってはいるが、IAEAの専門家の中にはチェルノを超えるレベル8を福島に与えるべきだという意見もある。

東電、保安院のデータ隠しの数々がどんどん露見してきたが、これもIAEAや国際社会の心証を悪くしている。天野事務局長の立場も芳しくない。

それはそうだろう。スリーマイルは数日、チェルノだって10日で収束している。放射能は微量という東電の言葉を信じたとしても、塵も積もれば山となる算数積算を知らないわけではないだろう。

 

3ヶ月後の6月11日、日本全国で「原発はいらない」デモが盛り上がった。約10万人が参加したという。新宿アルタ前広場は約2万人の群衆が終結して原発止めろ、と訴えた。

昔のデモは左翼活動家学生中心の荒れたデモが多かったが、この日のデモは子連れのお母さんが多く、それぞれのスタイルで、老若男女を問わずデモに参加していた。

危険な核にノーを言わなければ命にかかわる、とだれもが思っている。子供たちの未来が奪われるんではないかという危機感が広がっている。

 

汚染は予想外の広がりを見せて、野菜や海産物にも黄信号が灯ってきた。

おいしかった日本食、刺身文化、四季の食べ物、自然の景観、そういうものが一挙に失われるのが、いわゆる核の攻撃だ。

 

村上春樹氏がカタロニア文学賞の受賞のとき語った言葉が印象に残る。

原発は平和利用だと日本人は思ってきたが、実は核兵器と同じなのだ。世界の人々は原発だから平和だと思ってはいない。

なぜなら世界の超大国は核兵器と原発を両方とも所有している。

 

使う物質はウランという核物質で、がんらい軍事と平和の区別がつくような代物ではない。

日本人は広島、長崎の原爆を浴びながら、核に対して無防備だった。広島、長崎から平和のメッセージを発しながら、原発は平和だと信じ切っていた。しかしそうではなかった。

 

日本が原発を導入した経緯は、戦後直後のことである。米国は日本人の核アレルギーと反米感情に警戒心を募らせていた。

これを中和する戦略として原発が導入されたのだが、その輸入方法は正規の外交ルートからはずれた秘密裏で行われ、日本の原発はいわば正嫡子ではなかったのである。原子力の平和利用はマスコミによって大々的に宣伝され、日本社会に浸透していった。

日本の原発の出自の秘密が、原発をタブー視する傾向と仮想の安全神話を増幅する結果を生んだ。

 

いま福島の事故をどのように世界に発信して行くかを考えた時、常識的に考えれば、原発を止めるとう未来へのメッセージしか日本には選択肢はない。

もしそれが嫌なら、核兵器をもつことでリスク管理のバランスをとるほかはない。核兵器を持たない国が原発を操ったリスク感覚の甘さが、今回の大事故を招いた本質である。日本人は核兵器の洗礼を受けはしたが、核兵器の本当の怖さを知ることがなかった。

 

自然再生エネルギー革命によって、日本は今回の失敗を乗り越えることでしか、本当の技術大国として世界に認知されることはないだろう。

 

小出祐章氏によれば、地震大国の狭い国土に54基もの原発を作った隠れた動機の中に、核兵器を持ちたいという願望があったのではないか、と見る。

核兵器の原料になる濃縮ウランは日本の原発から廃棄された放射性廃棄物からかなり豊富にとりだすことが可能といわれる。

保守系の有力政治家が集まって東京に地下原発を作る計画があるとの報道がある。日本の一部に原発へのこだわりを捨てきれない人々がいるのは、核兵器を持ちたいという願望の反映かもしれない。

 

菅首相の不信任決議が否決された後、政界は菅降ろし一色だが、6月11日、官邸主宰不思議な討論会があった。脱原発と再生エネルギーの未来について語るものだった。

討論会には菅総理と福山官房副長官が出席したが、マスコミ報道は一切なかったのも異例といえば異例だ。

 

パネラーは、孫正義、坂本龍一、岡田武史、枝広淳子、小林武史の各氏。

官邸という政治の生々しい現場とは思えないほどの清涼感があり、パネラーの机上には飲料水のボトルが一本。中身は学者たちの討論を思わすアカデミックなものだった。

 

菅さんは不信任案の前、発送電の分離、太陽光発電と再生エネルギーの推進、浜岡原発の停止を矢継ぎ早に打ち出していた。

 

にわかに菅降ろしが強まった理由は、原発推進派の巻き返しが背景になっているとの見方が有力になってはいる。

 

そうした政治的な駆け引きが、再び原発推進のエネルギーを引き出しているとすれば、福島の被災者は救われない思いだろう。

 

戦後史をもう一度、ひもときながら検証し、なぜ日本人は原発の罠に落ちたか、この原発アリ地獄から抜け出すにはどうしたらいいか、答えを求め続ける必要がある。

 

| - | 22:28 | - | - |
原発とメディアの責任
 新聞が導入した日本の原発
 
 多額の宣伝資金とCMで汚染されたマスコミと学会
 

いまから約60年以上前、サンフランシスコ平和条約で日本が独立した直後のことである。

 「野獣も飼いならせば家畜となる」。これは原子力の平和利用の先陣を切った読売新聞記事の見出しだ。

正力松太郎率いる読売新聞と傘下の日本テレビ幹部は、秘密裏に米国CIA関係者らと接触して、日本に原発を導入する画策を行っていた。

当時、ビキニ環礁の米国水爆実験で被曝した焼津のマグロ船第五福竜丸の久保山愛吉が死亡したことで、日本には反米感情が渦巻いていた。広島・長崎の後遺症も大きかった。

米ソ冷戦下で米国は日本の反米感情を沈めるための「心理作戦」の一環として、原子力の平和利用、つまり日本へ原発を導入しようとしていた。

その水先案何人になったのが正力松太郎であり、読売新聞だったのである。

原発の燃料になる濃縮ウランは米国から輸入された。当時、原爆の材料である濃縮ウランを供給できる国は、米国とソ連だった。

 

 

福島原発事故が起こらなければ、東日本大震災の被害は甚大ではあったにせよ、日本人は大いに奮起し、世界中の共感と支援を得ながら被災地の再興に全力を傾注できたはずだ。あのような悲劇の後でも勤勉日本人は明るい和の精神を持って、生き抜いたことだろう。

しかし震災に直結した福島第一原発事故は、そういう日本人の意思を挫き、世界の共感を疑惑へと変換してしまった。原発事故は徹頭徹尾、日本と日本人の足を引っ張ったのだ。

 

原発がなぜあのような大事故を起こしたかについては、東電や政府の安全対策の甘さ、「想定外」という言葉で逃げようとする既得権益者や権力維持をはかる人間たちの魂胆の卑しさがあるが、これについては前回ブログでも書いた。

 

今回は東電や政府の原発政策の甘さを監視することなく、原発推進を先導した日本マスコミの役割を見逃すわけにはゆかない。

当時のCIA関係者は、政府間交渉以上に、マスコミの宣伝が果たす役割を重要視しており、とりわけ日本社会では大新聞の影響力が強いことを知っていた。
 米国人がなぜそう考えたかというと、戦中に新聞が果たした洗脳効果に注目していたからだ。

 

濃縮ウラン日本輸入のときには、賛成の読売、反対の朝日と新聞界、マスコミ界を二分する騒ぎになり、学会でも賛成・反対が分かれ世論も二分された。

 

しかし日本が高度成長し、経済大国になるにつれ原発への批判意見は少なくなっていった。資源のない経済大国日本は原発に頼ることなく、いまの豊かで利便性の高い生活水準を保つことはできない、という世論が多数派を占めるようになる。

原発に批判的だった朝日でも推進派の論説委員が活躍するなどして、紙面から反対論の学者、理論家たちが姿を消していった。

マスコミは原発の安全性強調へと論調を転換し、日本が生きてゆくために、原発は絶対に必要なものだという世論を誘導していった。

 

新聞の後から出て来た民放テレビにとっては、CMスポンサーとしての電力会社の金は巨大な力を持つようになる。毎日放送が深夜番組で反原発派の京大の研究者を登場させただけで、CMの引き上げが行われたといわれる。

確かに新聞社でも原発取材をする記者たちは当局や電力会社の監視の目から逃れられなかった。

 

新聞社にはいくつものタブーがあった。菊・鶴・刀とか、関西には松竹梅などというタブーがあった。

部落、朝鮮、共産圏、ヤクザ、宗教団体などの取材もタブー視されていたが、表向きでは語られない隠れたタブーこそが原発だった。原発と原発利権、原発人脈の隠された事実に触れることは、タブー中のタブーだったといえる。

そういうタブー視と言論監視は逆効果になって、記者たちの間では原発はやはり危ないものだという認識を深める結果になった。

 

マスコミと同様、大学でも研究費を潤沢にもつ推進派が権力を握って研究室を牛耳るようになり、マスコミとタイアップして原発安全性の神話を広めていった。

 

放射能漏れが報じられた原発の海で泳いで見せた新聞記者もいた。

 

このたびの福島原発事故報道で、一番驚いたことは、各局のコメンテーターで出てくる学者たちが、ほとんど同じことをいい、いくら放射能が漏れようと、建屋が水蒸気爆発を起こそうと、海に放射線汚染水を垂れ流そうと、オウム返しに安全を繰り返す学者の多さだった。

御用学者という言葉も生まれたが、マスコミは御用学者の説明の尻にくっついて安全神話を垂れ流した。

東電がばら撒いたとされる宣伝資金の分け前にあずかったマスコミ人、文化人も数多いようだ。『週刊金曜日』には東電金脈の文化人リストが載っているという。

幸い、海外メディアや海外の専門家の中には正確な情報を語る良心的なジャーナリストや学者がいたから、あえてそういうところから情報を得ることで、日本で安全バイアスのかかった情報を修正することはできた。

レベル7の原発事故だから、世界に影響を与えないはずはないのだが、日本政府も東電も世界のメディアが事態を注視して、刻一刻と報道していたことに無頓着だった。

 BBCもCNNもリビア内戦と日本原発事故を交互にヘッドラインにして報じていた。その報道の仕方はいまでも変わらない。
 

国内ではマスコミはマスゴミ、という論調が生まれ、マスコミは信用できないという多数の国民がツイッターで発信するようになった。その様子は、独裁者に立ち向かったエジプトかチュニジアかリビア民衆と同じに見えた。

原発事故は社会に革命をもたらす、とフランスの元大統領補佐官で経済学者のジャック・アタリはいっている。

 

 今、マイクロシーベルトからベクレルへと数字が兆単位で発表され、チエルノブイリとは事故の規模が違うといいながら、レベル7を認め、政府は原発施設地域への厳重な立ち入り禁止区域を設けるに至っている。

 

家と故郷をなくし、農産物や魚介類が売れなくなった避難民や漁民、農民の苦悩はいかばかりなものかと思う。

地元漁業関係者の方からメールをいただいたが、魚の数字が出るたびにびくびくしている様子が伝わってくる。数字の発表の仕方じだい、当事者の苦悩を全く考えていない。
 一言でいえば、政府関係者やリーダーたちの想像力の欠如だ。体面を繕って権力の座に居直ることが最重要課題なのだろう。
 

風評被害、というがこれはれっきとした政治被害いがいの何物でもない。

 

菅首相が福島の避難所を訪問した際、被災者から罵倒に近い抗議をされたが、大人しくて従順な日本人の精一杯のプロテストと、政府や保安院、東電は深刻に受け止めなければならない。

しかし現地を訪ねる菅首相、東電社長の言動には事の重みを受け止める姿勢が感じられない。

 天皇・皇后の被災地慰問のさいの、優しく謙虚な姿勢を見習ってほしい。

保安院や東電の記者会見にしても、緊張感がなくだらだらした日常の延長みたいに見える。こうしてお茶を濁していれば給料が入ってくるから、おれたちは生活には困らない的な官僚意識が透けて見える。

 

所詮彼らは当事者ではない。当事者は被災住民であり、農漁民だ。

 

1950年代に始まった原発導入の歴史を振り返り、海洋国家の日本人なのに、海を失うことを覚悟しなければなるまい。聖域ですらあった日本人の海は、原発によって滅ぼされている。

 

「野獣も飼いならせば家畜になる」という新聞見出しでスタートした日本の原発だったが、飼いならすことに失敗して、野獣が牙をむき出して暴走している。

 

その暴走を完全に止める手立てはいまのところない、というのは何ということか。


                       (記事中の敬称略)

| - | 17:14 | - | - |
海外メディアが伝えた原発の真実
不都合な真実を見ずに、ネット規制をたくらむ菅政権の愚挙


 世界が震災と津波と自然の残酷さに打ちひしがれていたとき、もうひとつの人工物の未曾有の災害の連鎖に驚愕した。

 福島電発事故は電源の喪失による冷却の機能不全のために炉心冷却ができず、原子炉の温度があがり建屋に水蒸気が溜まって水素爆発を起こし、照射能がわずかに外部に漏れている可能性があると、東電は説明、政府も東電説明に従った。炉心圧力を減らすために、ベントという放出を行うが、安全だから心配ない、と官房長官は言明した。

 放射線漏れはわずかな量で、人体にも食物にも影響ない低レベルという説明に、データを持たない国民はそれを信じるしかなかった。

 しかしその後の無残な展開は、いまや全世界と国民の前に明らかである。マスコミに動員された御用学者たちの無理やり安全宣言もむなしく潰え去り、ついでに技術大国・日本の技術神話も崩壊した。 
 新幹線や原発技術を世界に売り込んで不況からの脱却を目指していた日本の打撃は大きいが、自己過信と実力のギャップに、いまようやく気がつかされたというところだろう。 

 東電(および政府)は想定外の津波だったと補償逃れの弁明を行ってきた。テレビではあまり見ない歴史の学者が急に出てきて、今回の地震は平安朝に起こった大地震と同等の規模で1000年の一度の規模だと説明し、東電の「想定外」を支援していた。
  しかしちょっと調べるだけでも、明治29年に起こった明治三陸地震では、M8.2−8.5、38.2メートルの大津波の記録がある。1000年に一度、というのは嘘だろう。
 昭和にも三陸大地震は起こっている。  日本の記者クラブメディアは、たまにはスクープもあるが、おおむね東電や保安院、官房長官の発表を垂れ流しており、放射能は漏れているが安全だ、という主張を繰り返していた。
 
  欧米諸国は日本政府や東電に頼らずに独自のデータを持っていた。米国のクリントン国務長官は日本側が公表するデータに信頼性がない、と不信感を表明した。
 ロシアも同様の見解で極東地域に隣接する国土の放射能汚染の監視を強めた。北欧諸国は独自の放射線データをインターネットに公表した。
 
  にもかかわらずデータを持たない国民は騙され続けていた。そんな国民の蒙を破ってくれたのは、海外のメディアである。
 米国のニューヨークタイムズ,ワシントン・ポスト、ABC,CNN,英国のBBC、ロイター通信、フランスのル・モンド、ドイツのシュピーゲルといった欧米の一流メディアである。

 中でも衝撃だったのは、ロイター通信の以下のスクープ記事だ。やや長いが以下に引用する。 

 (取材協力:Kevin Krolicki, Scott DiSavino 編集:北松克朗)(敬称略)

 「津波の影響を検討するうえで、施設と地震の想定を超える現象を評価することには大きな意味がある」。
 こんな書き出しで始まる一通の報告書がある。東京電力の原発専門家チームが、同社の福島原発施設をモデルにして日本における津波発生と原発への影響を分析、2007年7月、米フロリダ州マイアミの国際会議で発表した英文のリポートだ。
  この調査の契機になったのは、2004年のスマトラ沖地震。インドネシアとタイを襲った地震津波の被害は、日本の原発関係者の間に大きな警鐘となって広がった。

 とりわけ、大きな懸念があったのは東電の福島第1原発だ。40年前に建設された同施設は太平洋に面した地震地帯に立地しており、その地域は過去400年に4回(1896年、1793年、1677年、1611年)、マグニチュード8あるいはそれ以上と思われる巨大地震にさらされている。  

 こうした歴史的なデータも踏まえて、東電の専門家チームが今後50年以内に起こりうる事象を分析。その報告には次のような可能性を示すグラフが含まれている。
  ―福島原発は1―2メートルの津波に見舞われる可能性が高い。
  ―9メートル以上の高い波がおよそ1パーセントかそれ以下の確率で押し寄せる可能性がある。    ―13メートル以上の大津波、つまり3月11日の東日本大震災で発生した津波と同じ規模の大災害は0.1パーセントかそれ以下の確率で起こりうる。
  そして、同グラフは高さ15メートルを超す大津波が発生する可能性も示唆。リポートでは「津波の高さが設計の想定を超える可能性が依然としてありうる(we still have the possibilities that the tsunami height exceeds the determined design)」と指摘している。 
 
 今回の大震災の発生を「想定外」としてきた東電の公式見解。同リポートの内容は、少なくとも2007年の時点で、同社の原発専門家チームが、福島原発に災害想定を超えた大津波が押し寄せる事態を長期的な可能性として認識していたことを示している。 
 
   原発推進という利害のもとで、密接な関係を築いてきた経産省・保安院と電力会社。ともに原発の危険シナリオを厭(いと)い、「安全神話」に共存する形で、その関係は続いてきた。だが、監督官庁と業界の密接な関係は、ともすれば緊張感なき「もたれ合い」となり、相互のチェック機能は失われていく。その構図は1990年代の「金融危機」と二重写しのようでもある。



 このロイター記事を読んで衝撃を受けた。この記事は、東電内部で作られたレポートが米国で発表されたのに、東京の本社で握りつぶされていたとする詳細な調査報道である。

 日本のマスコミが毎日、東電、保安院、官房長官の記者会見を繰り返しながら、何一つ焦点の定まらない記事を垂れ流し続けたのと比較して、読者はどう思うだろうか。

 東電、政府はついに放射性物質の汚染水の海洋投棄を始めた。全世界が仰天し、国際法に違反するのではないかと、韓国から日本政府は無能、と怒りの抗議が来た。

 米国CNNは日本政府はよほど追いつめられている、と専門家のコメントを流した。

 東電と日本政府だけでは解決できないと考えたフランスからはサルコジ大統領が、急きょ、来日、フランスの核燃料公社のトップが助っ人にやってきた。

 トモダチ作戦で地震の被災者を救援し続けたいた米軍も原発との戦いに参戦した。米軍からも核の専門家チームが来た。
 
 しかしいまだに解決のメドはない。史上最悪の事故といわれるチエルノブイリでも10日で放射能漏れが止まった。  

 サルコジ大統領の知恵袋といわれる元大統領補佐官のジャック・アタリ氏が、仮に日本の主権を侵害したとしても、福島原発の事故を止めるために、国際社会は介入すべきである。あらゆる”武器”を使うべきだ、と提言している。それが日本と人類を救う道だ、と。

 このままの状態が継続し日本が自立解決できずに放射能物質を流出し続ければ、福島原発は国際管理下の状態に移行させられるかもしれない。

 北朝鮮核疑惑、イラン核疑惑でわかるように、国際社会は核物質の流出にはきわめて敏感なのである。

 こうして国民の騙されていると感じた不安はどんどん増大し、マスコミが報道しない事実を求めて、ソーシャルメディアやツイッター、ネットに集まってきた。

 自分たちの健康と命が関わっているのである。  ネット上では様々なデータが交換され、ツイッターで国民の不安が書き込まれ、被災地の困窮が書き込まれた。それにより、政府、東電に対する不信感が飽和的に蓄積されていった。

 その挙句、政府はネットを検閲し、不都合な書き込みを削除するように、警察を通じて関係業者に要請した模様だ。ちょっと考えればわかることだが、この政府の行為はあからさまな憲法違反だ。
 
 ツイッターやフェースブックで起こされたエジプト、チュニジア、リビアの民衆革命を菅政権は恐れたのだろうか。自ら情報を閉ざし、マスコミで情報を操作したが失敗し、世界と国民を敵としたカダフィと同じ失敗を犯すのではないか。  

 国民は神経衰弱になるほど心配している。 早く原発事故を収束させて、被災地の本格支援をしたいと国民は心から願っている。

 ネットやブログやツイターを規制すれば、ものごとがうまくゆくと考えている菅政権は何という狭量で浅はかな政権なのだろうか。 
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マスコミを凌駕したツイッター
 
雨にも負けズ、風にも負けズ、原発にも負けズ、、
東電よ、100年の備えを怠るべからず

 3月11日昼下がり、パソコンで仕事していたとき眩暈を感じた。窓のカーテンを見ると揺れていた。テレビをつけると、地震速報テロップが流れ、東京のスタジオが大揺れの映像が出て、東北地方で大地震があった模様、との情報が伝わったあと、津波警戒情報が流れた。

 最初は震度7の大地震ということだった。仙台の地元放送局では大きくカメラが揺れた。現地の様子が伝わるにつれ、これは大きな地震だと感じたが、体験したとがある阪神淡路大震災ほどではあるまい。そう思っていた。

 津波警戒も地震のたびに流れるし、これまで警報がいうような大津波が来たこともないので、今度もそれほど大したことはないだろう、とタカをくくっていた。

 その津波映像を取材ヘリのテレビライブで見たとき、驚愕のあまり言葉が出なかった。
 仙台の名取川に津波のさざ波が立って川をさかのぼっている。川の水かさがどんどん増してあふれそうになるころ、土手わきから流れ込む泥を含んだ海水が、一面に広がった。

 綺麗に整地された川沿いの農地が流され、図面を引いたように整然と並んでいた花作りのビニールハウスが、一瞬にして泥水の中に消えた。
 泥水はインベーダーのような不気味な動きで前え前えと進んでゆく。向こう側に高台を走る道路が見えた。あの高台の道の前で津波は止まる、と思ったが勢いは衰えない。

 人が歩いており、車が走っている。思わずアツと叫び声あげたが、その道を泥の水はなんなく乗り上げて前へと流れてしまった。人も車も流れた。

 その日の夕方、自衛隊学校の卒業式で福岡に講演で来たという軍事アナリストの小川和久氏と電話で話した。津波で多数の犠牲が出ているに違いない。津波で押し流された人たちは海の方面を捜索しないと、いけない、捜索能力があるのは日本では自衛隊しかない、という話をした。

  この地震は阪神大震災を超える大規模な被害を出すと思ったが、その通りになった。今では一万人を超える死者・行方不明者が出ている。
 悲劇がまた生み出されてしまった。洪水が引いた川辺に戻り、流された家の跡で息子の名を呼び続ける若い母親の姿が、記憶に焼き付いている。

 被災地に食糧、水が届かない。電話も携帯も使えない。電気がなく暖もとれない。薬もない。テレビも新聞も見られない。情報が届かない。
 こんな避難所の生活の支援にマスコミは役にたたなかった。現地の市役所、警察、消防も被災している。マスコミとはそういう役所がないと報道できないメディアである。外国メディアと違い、集団で動く日本マスコミには、自力で現地に入って取材する能力はない。

 マスコミのかわりにツイッターやブログ、フェースブックが大いに活躍した。安否情報や救援情報では、ツイターの情報が直接、政府や自治体の救援に結びついた事例が多い。 チュニジアやエジプト、リビア革命はツイターやフェースブックから起こったが、この震災で日本でも同じことが起きた。

 阪神大震災でもそうだったが、黎明期のパソコンや駅や避難所に貼り出された安否情報、救援情報の書き込みが大いに役にたった。
 マスコミ取材の問題点は今回の大震災でも、16年前の阪神大震災と同じことが起きた。神戸の震災の中心はマスコミの取材車で渋滞し、緊急の車の通行を妨げていた。
 マスコミは無遠慮に被災地にヘリを飛ばして騒音をまき散らし、大きな避難所の取材で被災地を荒らしている。この苦情も阪神大震災のときと変わっていない。
 マスコミ取材は阪神大震災の教訓から何も学んでいなかったことがはっきりした。

 
 あれから16年、日本は変わらなかったが、明るさを装った個人主義、虚構にすぎない豊かな社会演出してきた。しかしこれらの生き方が心貧しい虚偽であったことにきずく。中国に経済大国2位に地位を奪われたのは当然の帰結で、何も落ち込む必要はない。
 悲しむべきことは、もっとほかにある。夥しい被災者、犠牲者の方々の悲しみと辛苦を共有しながら生きてゆこう。日本人はこれまでの生活レベルに固執せず、その決意をしなければならない。
 3.11.日本が変わった日である。

 福島原発事故の顛末

 地震・洪水だけで甚大すぎるダメージを受けていたところに、福島原発の事故が起こった。事故の経緯と顛末はテレビや新聞が詳しく報道したので、ここでは省略する。

 このブログを書いている段階では、自衛隊が上空から水を蒔いて原子炉の冷却を試みている。警察機動隊が放水で陸上から冷却を試みる。
 米軍無人探査機が原発上空を飛んで、火災で破壊された原子炉内部の写真を撮影している。

 自衛隊、警察の関係者は被曝の危険を冒しての仕事でさぞ大変な心労だと思う。彼らにとって本来の仕事ではないはずのに。

 では本来、この事故に対応し終息させるべき責任はどこにあるのか。地震や洪水は人為を超えた自然災害だ。しかし人為で建設された原発の事故は当事者に解決の責任がある。
 東電および政府が直接の当事者だ。ところが政府も東電も解決できない事故に発展したので、自衛隊、警察、米軍などのアチコチにSOSを要請しているのである。
 
 原発事故で付近住民の避難を要請した政府が、避難の行く先や方法を支持せずに、放置して混乱を広げている。マスコミが発表する放射能汚染数値が独り歩きして、パニックに拍車をかけている。
パニックを煽るな、といいながら最大に煽っているのが、政府とマスコミなのである。

 チエルノブイリ事故が起こったとき、原発関係者は日本ではあり得ない事故、と笑っていた。新聞記者でありながら原発の安全性を疑う奴は非国民というレッテルを貼られたりした。
 石油資源の乏しい日本では原発こそが救世主で、原子力の平和利用という世界平和の理念にも合致している、という理屈だ。

 原爆という核兵器へのアレルギー反応が強い日本人だが、原子力の平和利用という名の原発事業には抵抗感が弱く、外国以上に、日本には原発安全神話を受け入れる土壌が作られてきた。

 今回の事故を見ていると、この原発安全神話が事故に大きく影響している。炉心容器が破損したり、燃料棒がむき出しになって放射線が外に漏れているのに、テレビに出てきて、安全、安全と連呼するコメンテーターたちは、この原発神話信仰の哀れな犠牲者であろう。

 神話が崩壊した腹いせに、「想定外」の地震・津波だったというが、想定外という言葉を使わざるをえないほど、論理が破綻している。事故は想定外に起こるものだから、原発設計者は想定外に対する創造力が貧弱だった証拠にほかならない。
 今度の津波規模の津波は昭和のはじめにも起こっている。関東大震災もあった。100年に一度の備えをしていれば防げた事故ではないのか。想定外という言葉は、逃げにしか聞こえない。
 甘いリスク管理を認可した政府、事業主体の東電は重い事故責任がある。

 地震のマグニチュードが7台から一気に9に変更されたことも、原発リスク管理の「想定外」を補強する数字のようだが、この数字変更だけで、想定外を免責する実証的な根拠にはならないだろう。

 事故関連の数字や事故のプロセスの情報開示が遅れたことも、政府・東電の情報隠しの疑惑を国内、海外に拡大させている。

 原発反対論に火が付くのを恐れてぐずぐすしているとか、米軍の協力を拒んだのは原子炉が廃炉になることを恐れたとか、いろんな理由がつけられている。

 チエルノブイリには絶対にならない、と豪語していた日本の原発安全神話の作り手の人たちは、「日本は利益を優先させ安全を犠牲にした」とのロシア高官のコメントをどう受け止めるのか?聞いてあげるから言ってみたらどう?

 進行中の原発事故がうまく終息するか、最悪の事態を招いて日本の半分がダメージを受けるのか、その瀬戸際に居る。 無事であることを祈るしかない。

 さらに原発事故で思うにまかせられない被災者救援を、日本政府は決して手抜きすることなくやってほしい。
橋下大阪府知事も{震災疎開}を提案して、被災者の受け入れを提案している。すでに府議会の議決も経て、2000戸の住宅を用意し、着の身、着のままで来てください、と呼びかけている。子供の学校の転入も可能だそうだ。

 被災地は宮沢賢治の故郷である。被災地の皆さん、雨にも負けズ、風にも負けズ、原発にも負けズ、隣人を助けて生き抜いてください。
 
| - | 11:54 | - | - |
マスコミの餌食、京大も落ちたものだ
 携帯カンニングに狼狽した最高学府、マスコミの餌食となる
  昔は大学の自治、学問の自由といって学生を守っていたが、、

 京大の入試の携帯カンニングで予備校生が仙台で逮捕され、飛行機で京都府警に身柄を移送される引きまわしの姿が、マスコミで中継された。未成年の受験生を晒しものにして、大学はその将来を奪った。もし試験の公正のため、というなら、今後起こり得る学内期末試験も含め、すべてのカンニング行為の刑事罰を警察の手に委ねるべきだ。もはや大学は能力を引き出す教育機関でなくなり、警察と一体化した市民監視装置になりつつある。

 カンニングで受験生が逮捕されるのは前代未聞だし、世界的にも類例がない事件だ。中国でもカンニングは横行しているというが、さすがに逮捕されたという話は聞かない。
 偽計業務妨害という意味不明な罪名より、世界に先駆けてカンニング罪という新しい刑事罰を京大と警察が作り上げた結果は、大学への今後の評価に確実に跳ね返るだろう。

 京大とマスコミなどの既成の旧体制が何に怯えてこういう血迷った挙に出たかというと、リビアやエジプト、チュニジアの革命に怯えたのではないかという推測が成り立つ。新しい情報ツールの進化によって、旧体制が汲々として維持してきた権力基盤が浸食され崩壊することを恐れたのだ。

 リビアのカダフイは市民が駆使するツイターやフェースブックに敗北し、外人傭兵部隊の力を借りて戦闘機による空爆を敢行し、リビア国民の殲滅をはかって一族の利権を守ろうとしている。

 こうしたカダフイのメンタリティは、携帯カンニングに狼狽して少年を殺人犯並みの重大犯罪人に仕立てて、マスコミを使って全国の晒し者にした日本の旧体制の精神構造と、ヒステリックで気違い染みた点で似ている。
 日本ではリビアのような武器は使えないが、マスコミは旧体制の最大の武器になっている。おそらく日本の旧体制はカダフイに同情し、反社会的なデモを殲滅して政権に復帰してくれることを望んでいるのであろう。
 そうなればいままでのリビアの石油利権も維持できる。

 もしも受験生が携帯を使わないでカンニングしていたら、これが発覚しても京大の受験資格がなくなるだけで終わっていただろう。彼は警察に逮捕されることもなく、他大学への入学すら出来ていたのではないか。
 
 カンニングは不正行為であることは当然だ。しかしカンニングはやらせる側にも責任がある。それほど入試が重大な行事なら、当然、携帯への注意も怠りなくすべきだった。京大にはITやネットの研究者がいるはずだから、そういう専門家の知見を仰いで万全のカンニング対策を実行しておけば、このような事件が起こるはずもなかった。
 
 京大のトップを預かる大学人たちの怠慢の結果でもある。その責任を逃れ、傷ついた権威を守るために警察の力を借りた行為は、大学人として恥ずかしくないのか。同じことを易々とやられた他の大学の責任も同様だ。

 京大は誇り高い大学だった。権力のバシリになったり、政府に追従することをよしとしない伝統があった。戦前は、滝川事件で軍国翼賛政府と対決し、西田幾多郎、内藤湖南、川上肇など反権力の学者を輩出した。
 戦後は、日本初のノーベル賞学者・湯川秀樹、桑原武夫、吉川幸次郎、今西錦司など世界に誇る学者を輩出した。彼らは東大ではあり得ない不世出の学者と言われた。世界に誇る傑出した学者が育ったのは、京大の型にはまらない自由奔放な学風であった。 新聞記者出身の司馬遼太郎も京都学派が育てた作家だった。
 
 全共闘時代、学生たちを擁護して病に倒れた高橋和己もいた。警察に追われた全共闘の学生に対して京大は寛容だった。世間の批判を浴びながらも、むしろ大学の自治を唱えて、警察を学内に入れるのをよしとしなかった。
 当時の京大はしゃっきとしていたし、素晴らしい教授陣がいて、学問は純粋に学生に生きる勇気を与えていた。難しい入試を突破して、京大で学ぶ意義もあった。しかし今はその値打ちがあるだろうか?

 携帯入試カンニング生をろくな学内調査や監督責任の自覚もなしにいきなり警察の手に引き渡した京大当局関係者の研究・教育に関わる人間としての誇りはどこにあるのだろうか。思えば大学がこのような様変わりの姿を見せ始めたのは、国立大学が独立行政法人という名前に変わったころからだろうか。金に汲々とする官僚主導大学へと落ちぶれたのだ。
 そのころから、昔の京大とは変質した。京大は伝統の京大とは似て非なる大学に変わったのだ。

 さらにまた、このたびの事件で、京大はいたずらにマスコミの餌食になり、その権威を失墜させたことを、猛省すべきである。
 京大は泣いているぞ!
| - | 11:50 | - | - |
厚生年金ぼったくりの構造
 貧すれば鈍する国と地方のサイフ
 サラリーマンは老後に野垂れ死にする

 厚生年金がぼったくられている。自民党の河野太郎さんがブログで訴えている。主張の骨子はこうだ。
  国民年金の納付率は下がり続ける一方だ。こうして、「財政に開いた穴は大きくなりつづける。そして、サラリーマンの厚生年金から国民年金の保険料の未納分を埋めるための拠出金がどんどんと流れ続けていく。」(河野太郎公式サイト「ぼったくられる厚生年金」2020年2月20日、参照)

 厚生年金ぼったくりは、給料から税金、社会保険、健康保険のすべてが天引きされるサラリーマンの危機だ。せっせと給料から天引きされている年金積み立てがぐちゃぐちゃにされているのだ。このままゆくと、年金額の建前の数字は元のままだが、実際に手元に入ってくる金がゼロになる、という時代を迎える。

 ぼったくる側の国はなんのかんのと屁理屈をつけて、サラリーマンの金をむしりとる手練手管に長けている。霞が関の役人たちは文章一筋の錬金術に長けており、そのための研鑽を専らとしてきた人種である。
 霞が関文法に虚飾された特殊な文章を法律と称して布告すれば、無知な国民大衆はたやすく騙されて従うからだ。
 それによって、河野さんがいうように、国民年金の未納分へと厚生年金が流れ込む仕組みが作られた。

 国によるぼったくりに加え、もうひとつ、地方の役所が国とグルになって厚生年金をぼったくっていることは、まったく知られていない。

 以下は知人から直接聞いた話である。
 知人は大阪府吹田市に住む年金暮らしの住人だ。昨年の10月から厚生年金の受取額が激減した。調べてみると、年金から住民税がごっそり引かれていた。

 会社を退職後、自営業になった知人は青色申告をしている。昨年度の住民税は、税務署で決まった税額通りにすでに全額支払い済みなのに、何の説明もなく年金から住民税が天引きされていた。
 びっくりして吹田市に聞くと、年金からも住民税を天引きすることが法律で決まった、という返事。決められた年金という人の財産に断りもなく手を付けるのは犯罪だ。

 これは税金の二重取りではないか、と怒った知人は何度か市に電話で確かめたが、その都度、相手はわけのわからない法律の文章を電話口で読むだけだった。読む本人もわかっていない。役人は気が狂ってるんじゃないか、と知人は思ったそうだ。

 調べると、小泉政権時代に改正年金法という悪法が誰も知らない間に国会をスルリと通過したらしい。

 地域主権の税源委譲とやらで、年金が人身御供になったのだ。人様の年金から好きに住民税を天引きできるようになったらしい。辞任する小泉政権の地方への嬉しいプレゼントだった、というわけである。

 知人によれば、10月から毎回天引きされる金額は半端な額ではない。2か月分の年金約30万円に対して、毎度課せられる住民税は約5万円。なんと年金の2割が住民税になって消えているのである。

 さらに驚いたことに、来年度の税額までも推定額が割り出されており、割り出された税額に基づいて、来年度の年金からも同額が自動天引きされる仕組みになっている。
 厚生年金住民税自動支払い機械、国と地方がグルになったATMの誕生。

 まだ今年の税金申告が済んでいないのに、来年度の住民税額が決まっている。摩訶不思議!お釈迦様でもわらないはずだが。

 所得の税額が決まらないのに、住民税だけが決まる。なんという人権侵害! これは住民税ではなく、奴隷制度があった古代社会の人頭税に相当すると、知人の怒りが収まらない。人頭税というのは、人間一匹生きている間中課せられる税金のことだ。
 
 そうだったのか。地域主権とは、財政に貧窮した行政が管轄下の住民から一重頭いくらに人頭税を取って、住民を搾取することだったのか。地域主権という甘い言葉に騙されたのは、不覚だった。

 そんな地域主権は願い下げにしたい。大阪府の橋下知事は、減税を公約した名古屋の河村市長とも意思疎通して、役所行政の無駄の削減、役人の給料カット、議員報酬の引き下げなどに取り組んでいる。

 おそらく橋下知事は、このような吹田市の行政の破綻ぶり、非人間性をご存知ないのだろうが、足元で起こっていることをよく見てもらいたい。

 行政の無駄を削れるだけ削って、一方で市民に減税を約束するのが、公僕として、志ある政治家の姿ではないか。

 来年の住民税をアバウトに推測して、ためらうことなく高齢者の年金に手をつける行政の血迷った浅ましい姿を、これ以上見たくはない。

 来年まで生きているかどうかわからない高齢者に、まだ生きている間に、前倒しして来年分の住民税も取ってしまえ、という発想はどこからきているのか。
 

 行政による住民の生存権の否定。これこそ行政の行う究極の恐怖支配、というものだろう。
| - | 20:53 | - | - |
和の精神とは、八百長の意味でもある
 コンプライアンスとなじまない八百長


 岐路に立つ日本はグローバル社会の中で試されている

 大相撲の八百長がマスコミを騒然とさせている。相撲の生中継を看板番組にしているNHKも、どうしていいかわからないという報道ぶりだ。
 元NHK相撲中継アナの杉山さんは、民放のコメンテーターの常連だが、朝青竜事件や野球賭博問題のときは、関係力士の追放で角界の立て直しを主張をしていたが、今回の八百長問題ではヒステリックに八百長力士を批判するだけだ。おそらく、解決不能なほど根が深い問題であることを自覚しているのだろう。
 問題がここへ至った責任は、大相撲に関与して甘い汁を吸ってきたマスコミの責任でもある。マスコミ会社のドンたちが関与してきた横綱審議会は何をしていたのか。

 80年代に相撲界を揺るがした、年寄株を担保にして金を借りて角界を追放された輪島のことも、マスコミはほとんど触れていない。年寄株事件は親方の座を金で買う類のスキャンダルで、大相撲の存亡にかかわる八百長の最たる問題だった。しかしこのときも『週刊文春』など週刊誌が騒いだだけで、大新聞やテレビは沈黙していた。

 いま起こっている八百長問題は、溜まり溜まった積年の膿が噴出しているように見える。

 もともと大相撲は1500年前に誕生した神事で、出演する力士は異形の人だった。神に捧げる祭事だったのだ。江戸時代に発展したが歌舞伎などと並ぶ興行だった。

 明治の文明開化でスポーツ文化が欧米から流入し、相撲はスポーツの要素を取り入れながらも、国技としての神事を本質とし、技の格式、品格が重視された。力士は強ければ良い、というものではなかった。

 相撲は日本の近代化に随伴して日本を象徴する国技となり、国際社会でも認められるスポーツになった。外国人力士も大勢、日本の大相撲を目指すようになった。

 大相撲が巨大化し、国際化するにつれ、国技の本質に存在する日本精神が邪魔になり、大きな矛盾をはらむようになったが、日本相撲協会も所轄の文部科学省もマスコミも、大相撲を内包する矛盾を覆い隠し続けた。

 国技であり、神事でもある大相撲の勝負にも型がある。立ち合いからの勝ち方、負け方も神事の要素なのである。勝負は儀式であり、技は様式である。

 神のみが知る。そういう勝負の在り方は、力技とは異なる神秘の世界に属する。そこに人知を超えた八百長が生まれる素地がある。

 聖徳太子が唱えた」和の精神」は日本精神の神髄だが、これは相撲の在り方や様式に似ている。相撲の勝負は争うものでなく、和の心の内に存在しなければならないのだ。

 八百長が悪、というなら和の精神も悪、ということになる。同じことを表から見るか、裏から見るかでとらえ方は違う。

 阿吽の呼吸で勝負が一瞬のうちに決まる相撲だから、八百長があっても素人には見抜けない。

 今回の八百長事件のキーワードは携帯という新しいツールが使われたことだ。どうして携帯メールで八百長がバレたかというと、野球賭博事件で警察が押収した力士の携帯電話のメールに、そういうやりとりがあったことを、警察がマスコミにリークしたからだ。

 力士の八百長勝負そのものは賭博ではなく、犯罪ではないので、携帯メールの本人同意なしの暴露は、個人情報保護や通信の秘密に対する侵害で法令違反になるはずだが、メールをリークされたマスコミはこの問題には一切、触れることはなく、報道している。

 がんらい原則を無視した報道は成り立たないのだが、これが成り立っているいまの日本そのものが原則なき八百長社会ということになる。警察のリークを勝手に垂れ流し、それを大目に見ている者たちや国民多数も、もっと大きな野合と八百長を支持している。

 話は飛ぶが、米国の一連のトヨタ欠陥車バッシングで、世界第3位だったトヨタが今では400位以下に落ちた。しかし米国政府はトヨタの電子制御に欠陥はなかった、という報告書を今ごろになって公表した。
 
 時すでに遅し。90年代不況下の日本はトヨタで持つ、と言われたそのトヨタがこけた。トヨタの町名古屋は、今では火の消えたようになっているという。おそらく、河村・大村氏の首長選挙勝利も、トヨタ叩きによって、名古屋が沈んだ」からではないか。

 トヨタに限らず、日米、日欧ではしばしば経済摩擦が起こり、その都度、日本の有力企業や日本政府やマスコミがバッシングされてきた。

 そのバッシングの中身は、いりいろ細かい話や尾ひれはついているが、要するに日本は八百長社会であり、すべての事柄が八百長参加のメンバーで決定されるので、あずからない部外者は蚊帳の外に置かれている、というものだった。

 八百長精神こそ、日本の不公正のシンボルである、ということだったのだ。

 大相撲が暴露した八百長事件は、マスコミが騒ぐ以上に、根が深い。本当に大相撲を国技というなら、なぜ外人力士に依存しているのだ。日本人の新弟子入門者はほとんどいないではないか。
人材供給源がなくて、どうして国技なんだ。いろんな疑問がある。

 国技を廃止し、相撲レスリングとして、格闘技のスポーツとしてさらに外国人に広く門戸を開いてサバイバルする手はあろう。現代のグローバル時代に相撲が生き残るにはそれしかないかもしれない。

 それが嫌なら、育った文化が違う外国人力士は締め出し、新弟子には携帯電話もパソコンも禁止して相撲道教育を徹底させ、古来、相撲が伝えて来た様式や技を後世に伝承する純粋な国技としての相撲に戻るしかない。

  この両方を同時に望むのは、身の程知らずの欲張りというほかない。
  
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