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トヨタ、朝青龍、マグロ抜き寿司
鎖国時代に逆戻り? 世界から取り残されて自分の首締める日本
 ときどきの世論感情でルールが融通無碍に変わる国

 トヨタのリコール問題が世界を駆け巡っている。世界のマスメディアのトヨタ批判はそのまま日本バッシングにつながり、日本経済を揺さぶりつつある。日本人は説明せず、責任を取らない、官僚的で顔が見えない、ルールが曖昧でその時の感情で変わる。こんな日本人論が蒸し返されている。
 おりしもシーシェパード等の反捕鯨の激化が、地中海のクロマグロ漁禁止へと飛び火し、欧米の反日運動に火をつけた。フランスの日本料理店では、マグロ抜きの寿司を出すようになっているという。
 さらには、朝青竜の解雇問題が日本の国技相撲に対する疑惑を世界に広げている。朝青龍が解雇されたのは、生意気で反抗的な外人横綱が、日本人力士の記録を抜く危険があったからだ、と報じられている。
 また朝青竜に対する退職手当の額を減らすなど、ルールに明確に書いてないことを恣意的に課す行為を平然となす無神経も批判される。

 ところが自閉する日本のマスコミは、こうした海外のメディアの反応をほとんど伝えない。かりに伝えても間違った我田引水になる。従って、日本人大衆は外界で起こっていることに無知なままでいる。
 幕末に黒船が来たときと同じレベルで、日本は唯我独尊の情報鎖国を続けているように見える。親方日の丸だった日航の崩壊、90年代不況下の日本経済を牽引してきたトヨタの危機に続き、マグロ寿司や刺身が食えなくなる日に続いて、食べ物がなくなる日が、突然、やってくるかもしれない。
 
 そうした中、日本を動かすのは世論だ、と朝ズバ芸能人みのもんたが偉そうにご託宣を垂れていた。なるほど、マスコミが大騒ぎして特定の世に嫌われた芸能人や政治家や力士や企業を叩けば、日本大衆は同調し、叩かれた人物は社会的に抹殺される。それを見て洗脳された大衆は欝憤を晴らすのだが、日本の世論とは洗脳され操作された揚句の世論なのだ、ということに、みのもんたは気付かないのだろうか。政権党だってマスコミの集中豪雨のバッシングを受ければ、崩壊の瀬戸際に立たされるではないか。
 きちんと定義された「世論」ではなく、偽の世論でありマスコミに操られた世論にすぎない。そんなものはマトモな世論ではない。世論とは、歴史的に見ても、無教養なテレビキャスターや芸能人が口走るコメントよりは、はるかに知的でマトモなものなのだ。

 民主主義社会における世論に関してはリップマンの古典的名著『世論』に詳しいが、哲学者デューイとの厳しい理論闘争にも見られたように、邪な新聞やマスメディアが世論操作に関与することをどう防ぐかが、民主主義の世論形成の最重要テーマなのだ。
 つまり、情報操作機関にすぎない一介のマスコミが世論を作る、などと信じるのは甚だしい傲慢と錯誤なのである。
 世論の成熟に良い影響を与えるメディアとは、あらゆる癒着を断ち切り、権力や資本と距離を置かなければならない。世論をリードできるのは、事実(ファクト)を厳密に調査報道できる自覚的なジャーナリズムに与えられた特権なのである。それは良質な新聞以外に存在しない、とリップマンは述べている。
 いくら抗弁しようが、商業テレビは視聴率とCMの植民地にすぎず、もともとジャーナリズム足りえない存在だが、愚かな大衆はそんなテレビの本質を見抜くことができない。
 それでテレビが尊大な顔をして現代の支配者のように振る舞っているというわけだ。

 日本のマスコミは商業テレビに引きずられて、大新聞も質を落としてきた。自国を代弁するジャーナリズム(新聞、高級評論雑誌)が存在しない日本の欠陥を、本コラムでは再三にわたって警告してきた。 
 米国ならニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、フランスならル・モンド、イギリスならフィナンシャル・タイムズ、中国なら北京新報、などである。新聞のほか、米国には「フォーリン・アフェアーズ」などのオピニオン雑誌がある。先進諸国にも高級オピニオン雑誌がある。
 日本にこうした高級紙があれば、トヨタ、マグロ禁止、朝青龍、などの国際事件に対して、日本の独自の考え方や論評を伝えることができる。しかし残念ながら、日本人は内向きで手前勝手な理屈の中に閉じ込もり、外国の批判に答えられずに沈黙している。騒いでいるのは日本語の通じる日本列島内部だけの話だ。外には全く何の音信も発信してはいない。
 幕末のペリー来航のとき、ニューヨークタイムズに掲載された当時の日本イメージとは、「臆病な小熊」というものだった。小熊は臆病でなかなか外に姿を見せないが、時として残虐性を見せる、というものだった。
 日本は150年ほど前のあのときに逆戻りしたのだろうか。
 当時の江戸には新聞はなく、かわら版しかなかった。黒船来航は川柳や狂歌を載せたかわら版で伝えられていたが、ジャーナリズムではなかった。
  
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