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川を挟んだ被爆者認定方法とは?
なぜ被爆したか、いまだに被爆者に自己責任を負わせる国家

 広島の原爆記念日式典に、原爆を投下した米国の代表をはじめ、国連事務総長や第二次世界大戦の戦勝国の英仏の代表など全世界の要人たちが参列した。二度と核兵器を使わないこと、核兵器廃絶にむけての思いを新たにしたことは貴重で、人類の進歩だ。

 おりしも、米国が二度目の核兵器使用を検討したことがあった朝鮮戦争時の休戦ラインを挟んで、南北の緊張が高まり、北朝鮮が戦時使用可能な小型核兵器を開発していると伝えられる。
 
 日本国内では、65年後のいまだに原爆症や後遺症のガンに悩む人々が多数いるが、原爆症の認定をめぐって国との訴訟が続いている。NHKが5日夕刻のニュースでも報道したが、8千数百メートルの原爆キノコ雲の高さや形状をコンピューター解析して、被爆地を限定し、被爆時にそのエリアにいた人々を被爆者として認定しているという。その範囲は広島市内を流れる太田川を挟んでいて、川の片方の流域にいた住民は被爆していないと認定されたという。
 空から落とされて爆風で拡散した原爆なのに、地上を流れる川の片方の流域地区の住民だけを被爆者とした合理的根拠はどういうものなのか、理解に苦しむ。いくら精密にコンピュータ解析しても、出された結論が非合理なものなら科学の意味はない。科学が非合理を正当化している好例だ。
 年金記録喪失、高齢者行方不明、冤罪事件の多発など、日本という国には科学が非合理を正当化するために使われている事例が多すぎる。何のための科学なのか?

 駆け出しの記者のころ、もう30年ほども前のことだが、広島大学の原爆放射線医療研究所(原医研)という研究所の助手のYさんにインタビューしたことがある。原医研はGHQが原爆の後遺症や効果などを調査するために、戦後すぐ作ったABCCという研究機関で、占領終結後に広島大学に移管されたものだ。
 ABCCは極秘裏に作られた機関でこれを報道しようとした新聞がGHQの検閲を受けて睨まれ、記事を削除されたことがある。
 
 取材に応じてくれた研究者Yさんは、医学の専門家ではなく、社会学の専門家だった。ABCCがどのような機関であったかを詳細に話してくれた。被爆者を集めて人体の被爆調査はしたが、治療は行わなかったという。被爆者の調査データは膨大なもので、被爆地域の全域のデータが集められた。そのデータのほとんどが米国の研究機関に送られた、という。
 彼は自らの聞き書きや調査によって、破壊された被爆地域の復元を行い、住居や住民データが細かく書き込まれた手書きの地図を見せてくれた。想像以上の広いエリアで爆風と熱による破壊、放射線による被害が出たことがわかるデータだった。
 当時、広島、長崎の原爆記念日の式典は政治的なイデオロギーの色彩に彩られ、政府、社会党、共産党などが別々に式典を実施するようなありさまで、どの式典に出席するかで、どの党派に属するかがわかってしまった。

 劇作家・別役実氏の『象』という作品が学生演劇などで上演されたりしたが、被爆者とその家族の行き場のない苦悩と不条理を表現していた。
 「なぜ被爆したのか、被爆したからである」などという同義反復の台詞が塗りこめられた前衛劇、シュールリアリズム劇だった。
 被爆の責任を被爆者のみが負って生きるしかない無残で不条理な自己責任社会が描かれていた。自己責任を言い出したのは、小泉純一郎元首相が元祖ではない。
 
 もう一度、その後の話を聞きたかったが、残念ながらYさんは若くして亡くなってしまった。あのとき見せてもらった手書きの資料はいまどうなっているのだろうか?
 あの資料を見れば、キノコ雲の高さとか、太田川の片方だけを被爆認定するという愚策はあり得ないはずだ。
 もし日本側に原爆投下時の正確な資料がないのなら、日本政府が米国に問い合わせて資料の提供を求めれば、米国は応じるはずだ。そういうこともせずに、原爆投下写真だけを頼りにしたコンピューターでキノコ雲を解析して、被爆エリアを推定することは、科学性の希薄な徒労というべきだ。社会学や社会科学の知見がまったく存在していない。

 ところで、亡くなったYさんがポツリと漏らした言葉がずっと忘れられないでいる。GHQにはたくさんの英語のできる日本人が雇用されており、ABCCには日本人医師もいた。彼らはGHQの指令どうりに動き、被爆者の医学的データを集収したが、治療は一切しなかったし死んでゆく人々の命を助けることもできなかった。のちに進歩的な医学者として社会的な名声を得た方もいるが、ABCCにいたという経歴は表には出ていない、とYさんはいった。ここにも世の中の不条理がある。

 被爆65周年のいま、広島大学医学部の狭い木造研究室で会ったYさんのインタビューのことを思い出している。
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