CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>
ARCHIVES
SELECTED ENTRIES
<< 川を挟んだ被爆者認定方法とは? | main | 戦後65年、国民にも謝罪する必要がある >>
太平洋戦争の「失われた3年」を検証する
なぜ停戦ができなかったのか、ずるずると消耗戦を継続した日本
 責任回避国家の運命、原爆投下の悲惨が意味するもの 

 広島には来たのに、長崎にはなぜ来ないか。米国代表の原爆記念日式典への出席をめぐる感情論をマスコミは伝える。
 駐日米国大使が広島に来た国際的な意味を、感情論に終始する日本のマスコミはほとんど分析していない。唯一、原爆を実験的に投下された日本国民が感情的に米国を非難する理由はあるが、ジャーナリズムの役割はそれだけで事足りるわけではない。
 核兵器をめぐる世界の国々の思惑やしたたかなパワー・ポリティクスを冷静に分析する必要がある。
 オバマ大統領がプラハで核兵器廃絶の演説を行ったのは、単なるセンチメンタリズムではない。テロリストが核を手にしたらどうなるか。現代における核兵器の拡散によって、核戦争の脅威が身近になってきたからだ。
 
 広島、長崎で核廃絶の式典が行われているさなか、キューバのカストロ議長は、北朝鮮、イランと欧米諸国との間で核戦争の足音がする、と不気味な演説をしている。
 実際、北朝鮮の核武装をめぐって米韓の軍事演習が目立ち、日本海にはいつになく荒波が立っている。
 
 65年前の今日にさかのぼると、日本は天皇の御前会議でポツダム宣言を受諾した。国体の護持、戦犯の処罰法などをめぐり、9日から行われた御前会議は収拾がつかず、長崎に2つ目の原爆が落とされた。
 その結果、10日の未明、日本はポツダム宣下の受諾を決定した。
 もう少し早く受諾を決定していたら、少なくとも二度目の長崎原爆は回避できたかもしれない。
 
 いつでも決断が遅すぎるのである。

 日本海軍の連合艦隊で山本五十六司令長官のもとで太平洋戦争を戦っていた筆者の叔父が書き残した日記風手記を読むと、ミッドウェイー海戦敗北後、ガダルカナル島攻防の失敗で日本敗戦は確実になった状況が読み取れる。誰にも言えないことだが、と叔父はそう記している。

 手記によれば、山本長官もそのように考えて、傷を最小限にとどめる停戦の模索を大本営に進言していたというが、戦争遂行派が占める政府指導部の了解を得ることができなかった。
 叔父の手記を読む限り、前線で戦う日本海軍には常識的な国際感覚があり、リアリズムに徹した合理主義精神もあった。

 しかし残念ながら、太平洋の主戦場を知らない大本営にはリアリズムの喪失があり、いたずらに精神主義を鼓舞して泥沼の負け戦にあえて突入した。
 叔父の手記の全編に、前線で戦う兵士には、真珠湾奇襲から終戦の聖断にいたる政府や大本営の意図がわからない、という苦渋がにじんでいる。そして自分が率いる軍艦が撃沈され、戦争敗北の重圧任に打ちひしがれている。
 楽しい思い出も記されているが、その思い出とは、海軍兵学校に合格した青春時代のことか、卒業記念の世界一周遠洋航海で、パリやロンドンやニューヨークに旅したことだ。

 戦争がぐずぐずと長引いている間に、多くの軍人が戦死し、国土は焦土と化し、ついに広島、長崎に原爆が投下され、日ソ不可侵条約を結んでいたソ連の予想外の参戦で、数万の日本軍人のシベリア連行と抑留が起こり、北方領土がむざむざと占領された。

 ミッドウェイ海戦は昭和17年6月5日から7日にかけての海戦で、この戦の敗北を契機に日本は敗戦の坂を転げ落ちたのである。
 その後、昭和20年8月10日のポツダム宣言の受諾を決めるまでの3年以上の歳月は無駄な消耗戦に明け暮れたというわけだ。
 いま流うにいえば、「失われた3年」、ということになる。この3年の間に、竹槍部隊や国民総動員体制など作らずに、停戦交渉を必死で行っていれば、本土空襲や原爆を投下されることもなく、戦死者数も圧倒的に少なく、北方領土をソ連に占領されることもなかっただろう。
 停戦の条件としては、中国からの軍隊の引き揚げ、満州国解体、太平洋の諸島の日本領の返還などの条件は付いたかもしれないが、独立国家としての尊厳は守られたはずだ。

 たぶん、ミッドウェイ海戦の時に、坂本龍馬が生きていたら、停戦和平を画策して世界を動き回っていたことだろう。薩摩と長州の和平ではなく、日米の和平に龍馬は動いたに違いない。

 いまの失われた20年の研究も重要だが、太平洋戦争の「失われた3年」を調べるために、日米の歴史資料を読み直している。
 いま浮かび上がってくる仮説は、決定の空洞化だ。日本の指導部中枢で責任回避が横行し、決断を避けて現状をずるずると引き延ばしたこと、それによって事態はどんどん悪化したこと、だ。
 しかもその責任はすべて前線で戦う軍人や民間人にの自己責任として負わされてきたのではないか。戦争には何の責任もない被爆者救済がいまだに不十分なことを見ても、日本の指導者たちがいかに自己責任を回避してきたか、がわかる。 
| - | 11:58 | - | - |