CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
ARCHIVES
SELECTED ENTRIES
<< ツイッター革命が広がる中東 | main | 厚生年金ぼったくりの構造 >>
和の精神とは、八百長の意味でもある
 コンプライアンスとなじまない八百長


 岐路に立つ日本はグローバル社会の中で試されている

 大相撲の八百長がマスコミを騒然とさせている。相撲の生中継を看板番組にしているNHKも、どうしていいかわからないという報道ぶりだ。
 元NHK相撲中継アナの杉山さんは、民放のコメンテーターの常連だが、朝青竜事件や野球賭博問題のときは、関係力士の追放で角界の立て直しを主張をしていたが、今回の八百長問題ではヒステリックに八百長力士を批判するだけだ。おそらく、解決不能なほど根が深い問題であることを自覚しているのだろう。
 問題がここへ至った責任は、大相撲に関与して甘い汁を吸ってきたマスコミの責任でもある。マスコミ会社のドンたちが関与してきた横綱審議会は何をしていたのか。

 80年代に相撲界を揺るがした、年寄株を担保にして金を借りて角界を追放された輪島のことも、マスコミはほとんど触れていない。年寄株事件は親方の座を金で買う類のスキャンダルで、大相撲の存亡にかかわる八百長の最たる問題だった。しかしこのときも『週刊文春』など週刊誌が騒いだだけで、大新聞やテレビは沈黙していた。

 いま起こっている八百長問題は、溜まり溜まった積年の膿が噴出しているように見える。

 もともと大相撲は1500年前に誕生した神事で、出演する力士は異形の人だった。神に捧げる祭事だったのだ。江戸時代に発展したが歌舞伎などと並ぶ興行だった。

 明治の文明開化でスポーツ文化が欧米から流入し、相撲はスポーツの要素を取り入れながらも、国技としての神事を本質とし、技の格式、品格が重視された。力士は強ければ良い、というものではなかった。

 相撲は日本の近代化に随伴して日本を象徴する国技となり、国際社会でも認められるスポーツになった。外国人力士も大勢、日本の大相撲を目指すようになった。

 大相撲が巨大化し、国際化するにつれ、国技の本質に存在する日本精神が邪魔になり、大きな矛盾をはらむようになったが、日本相撲協会も所轄の文部科学省もマスコミも、大相撲を内包する矛盾を覆い隠し続けた。

 国技であり、神事でもある大相撲の勝負にも型がある。立ち合いからの勝ち方、負け方も神事の要素なのである。勝負は儀式であり、技は様式である。

 神のみが知る。そういう勝負の在り方は、力技とは異なる神秘の世界に属する。そこに人知を超えた八百長が生まれる素地がある。

 聖徳太子が唱えた」和の精神」は日本精神の神髄だが、これは相撲の在り方や様式に似ている。相撲の勝負は争うものでなく、和の心の内に存在しなければならないのだ。

 八百長が悪、というなら和の精神も悪、ということになる。同じことを表から見るか、裏から見るかでとらえ方は違う。

 阿吽の呼吸で勝負が一瞬のうちに決まる相撲だから、八百長があっても素人には見抜けない。

 今回の八百長事件のキーワードは携帯という新しいツールが使われたことだ。どうして携帯メールで八百長がバレたかというと、野球賭博事件で警察が押収した力士の携帯電話のメールに、そういうやりとりがあったことを、警察がマスコミにリークしたからだ。

 力士の八百長勝負そのものは賭博ではなく、犯罪ではないので、携帯メールの本人同意なしの暴露は、個人情報保護や通信の秘密に対する侵害で法令違反になるはずだが、メールをリークされたマスコミはこの問題には一切、触れることはなく、報道している。

 がんらい原則を無視した報道は成り立たないのだが、これが成り立っているいまの日本そのものが原則なき八百長社会ということになる。警察のリークを勝手に垂れ流し、それを大目に見ている者たちや国民多数も、もっと大きな野合と八百長を支持している。

 話は飛ぶが、米国の一連のトヨタ欠陥車バッシングで、世界第3位だったトヨタが今では400位以下に落ちた。しかし米国政府はトヨタの電子制御に欠陥はなかった、という報告書を今ごろになって公表した。
 
 時すでに遅し。90年代不況下の日本はトヨタで持つ、と言われたそのトヨタがこけた。トヨタの町名古屋は、今では火の消えたようになっているという。おそらく、河村・大村氏の首長選挙勝利も、トヨタ叩きによって、名古屋が沈んだ」からではないか。

 トヨタに限らず、日米、日欧ではしばしば経済摩擦が起こり、その都度、日本の有力企業や日本政府やマスコミがバッシングされてきた。

 そのバッシングの中身は、いりいろ細かい話や尾ひれはついているが、要するに日本は八百長社会であり、すべての事柄が八百長参加のメンバーで決定されるので、あずからない部外者は蚊帳の外に置かれている、というものだった。

 八百長精神こそ、日本の不公正のシンボルである、ということだったのだ。

 大相撲が暴露した八百長事件は、マスコミが騒ぐ以上に、根が深い。本当に大相撲を国技というなら、なぜ外人力士に依存しているのだ。日本人の新弟子入門者はほとんどいないではないか。
人材供給源がなくて、どうして国技なんだ。いろんな疑問がある。

 国技を廃止し、相撲レスリングとして、格闘技のスポーツとしてさらに外国人に広く門戸を開いてサバイバルする手はあろう。現代のグローバル時代に相撲が生き残るにはそれしかないかもしれない。

 それが嫌なら、育った文化が違う外国人力士は締め出し、新弟子には携帯電話もパソコンも禁止して相撲道教育を徹底させ、古来、相撲が伝えて来た様式や技を後世に伝承する純粋な国技としての相撲に戻るしかない。

  この両方を同時に望むのは、身の程知らずの欲張りというほかない。
  
  *      *     *

 読まれたら以下のブログランキングのURLのクリックをお願いします。

 http://blog.with2.net/link.php?1160984 
| - | 12:18 | - | - |