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マスコミを凌駕したツイッター
 
雨にも負けズ、風にも負けズ、原発にも負けズ、、
東電よ、100年の備えを怠るべからず

 3月11日昼下がり、パソコンで仕事していたとき眩暈を感じた。窓のカーテンを見ると揺れていた。テレビをつけると、地震速報テロップが流れ、東京のスタジオが大揺れの映像が出て、東北地方で大地震があった模様、との情報が伝わったあと、津波警戒情報が流れた。

 最初は震度7の大地震ということだった。仙台の地元放送局では大きくカメラが揺れた。現地の様子が伝わるにつれ、これは大きな地震だと感じたが、体験したとがある阪神淡路大震災ほどではあるまい。そう思っていた。

 津波警戒も地震のたびに流れるし、これまで警報がいうような大津波が来たこともないので、今度もそれほど大したことはないだろう、とタカをくくっていた。

 その津波映像を取材ヘリのテレビライブで見たとき、驚愕のあまり言葉が出なかった。
 仙台の名取川に津波のさざ波が立って川をさかのぼっている。川の水かさがどんどん増してあふれそうになるころ、土手わきから流れ込む泥を含んだ海水が、一面に広がった。

 綺麗に整地された川沿いの農地が流され、図面を引いたように整然と並んでいた花作りのビニールハウスが、一瞬にして泥水の中に消えた。
 泥水はインベーダーのような不気味な動きで前え前えと進んでゆく。向こう側に高台を走る道路が見えた。あの高台の道の前で津波は止まる、と思ったが勢いは衰えない。

 人が歩いており、車が走っている。思わずアツと叫び声あげたが、その道を泥の水はなんなく乗り上げて前へと流れてしまった。人も車も流れた。

 その日の夕方、自衛隊学校の卒業式で福岡に講演で来たという軍事アナリストの小川和久氏と電話で話した。津波で多数の犠牲が出ているに違いない。津波で押し流された人たちは海の方面を捜索しないと、いけない、捜索能力があるのは日本では自衛隊しかない、という話をした。

  この地震は阪神大震災を超える大規模な被害を出すと思ったが、その通りになった。今では一万人を超える死者・行方不明者が出ている。
 悲劇がまた生み出されてしまった。洪水が引いた川辺に戻り、流された家の跡で息子の名を呼び続ける若い母親の姿が、記憶に焼き付いている。

 被災地に食糧、水が届かない。電話も携帯も使えない。電気がなく暖もとれない。薬もない。テレビも新聞も見られない。情報が届かない。
 こんな避難所の生活の支援にマスコミは役にたたなかった。現地の市役所、警察、消防も被災している。マスコミとはそういう役所がないと報道できないメディアである。外国メディアと違い、集団で動く日本マスコミには、自力で現地に入って取材する能力はない。

 マスコミのかわりにツイッターやブログ、フェースブックが大いに活躍した。安否情報や救援情報では、ツイターの情報が直接、政府や自治体の救援に結びついた事例が多い。 チュニジアやエジプト、リビア革命はツイターやフェースブックから起こったが、この震災で日本でも同じことが起きた。

 阪神大震災でもそうだったが、黎明期のパソコンや駅や避難所に貼り出された安否情報、救援情報の書き込みが大いに役にたった。
 マスコミ取材の問題点は今回の大震災でも、16年前の阪神大震災と同じことが起きた。神戸の震災の中心はマスコミの取材車で渋滞し、緊急の車の通行を妨げていた。
 マスコミは無遠慮に被災地にヘリを飛ばして騒音をまき散らし、大きな避難所の取材で被災地を荒らしている。この苦情も阪神大震災のときと変わっていない。
 マスコミ取材は阪神大震災の教訓から何も学んでいなかったことがはっきりした。

 
 あれから16年、日本は変わらなかったが、明るさを装った個人主義、虚構にすぎない豊かな社会演出してきた。しかしこれらの生き方が心貧しい虚偽であったことにきずく。中国に経済大国2位に地位を奪われたのは当然の帰結で、何も落ち込む必要はない。
 悲しむべきことは、もっとほかにある。夥しい被災者、犠牲者の方々の悲しみと辛苦を共有しながら生きてゆこう。日本人はこれまでの生活レベルに固執せず、その決意をしなければならない。
 3.11.日本が変わった日である。

 福島原発事故の顛末

 地震・洪水だけで甚大すぎるダメージを受けていたところに、福島原発の事故が起こった。事故の経緯と顛末はテレビや新聞が詳しく報道したので、ここでは省略する。

 このブログを書いている段階では、自衛隊が上空から水を蒔いて原子炉の冷却を試みている。警察機動隊が放水で陸上から冷却を試みる。
 米軍無人探査機が原発上空を飛んで、火災で破壊された原子炉内部の写真を撮影している。

 自衛隊、警察の関係者は被曝の危険を冒しての仕事でさぞ大変な心労だと思う。彼らにとって本来の仕事ではないはずのに。

 では本来、この事故に対応し終息させるべき責任はどこにあるのか。地震や洪水は人為を超えた自然災害だ。しかし人為で建設された原発の事故は当事者に解決の責任がある。
 東電および政府が直接の当事者だ。ところが政府も東電も解決できない事故に発展したので、自衛隊、警察、米軍などのアチコチにSOSを要請しているのである。
 
 原発事故で付近住民の避難を要請した政府が、避難の行く先や方法を支持せずに、放置して混乱を広げている。マスコミが発表する放射能汚染数値が独り歩きして、パニックに拍車をかけている。
パニックを煽るな、といいながら最大に煽っているのが、政府とマスコミなのである。

 チエルノブイリ事故が起こったとき、原発関係者は日本ではあり得ない事故、と笑っていた。新聞記者でありながら原発の安全性を疑う奴は非国民というレッテルを貼られたりした。
 石油資源の乏しい日本では原発こそが救世主で、原子力の平和利用という世界平和の理念にも合致している、という理屈だ。

 原爆という核兵器へのアレルギー反応が強い日本人だが、原子力の平和利用という名の原発事業には抵抗感が弱く、外国以上に、日本には原発安全神話を受け入れる土壌が作られてきた。

 今回の事故を見ていると、この原発安全神話が事故に大きく影響している。炉心容器が破損したり、燃料棒がむき出しになって放射線が外に漏れているのに、テレビに出てきて、安全、安全と連呼するコメンテーターたちは、この原発神話信仰の哀れな犠牲者であろう。

 神話が崩壊した腹いせに、「想定外」の地震・津波だったというが、想定外という言葉を使わざるをえないほど、論理が破綻している。事故は想定外に起こるものだから、原発設計者は想定外に対する創造力が貧弱だった証拠にほかならない。
 今度の津波規模の津波は昭和のはじめにも起こっている。関東大震災もあった。100年に一度の備えをしていれば防げた事故ではないのか。想定外という言葉は、逃げにしか聞こえない。
 甘いリスク管理を認可した政府、事業主体の東電は重い事故責任がある。

 地震のマグニチュードが7台から一気に9に変更されたことも、原発リスク管理の「想定外」を補強する数字のようだが、この数字変更だけで、想定外を免責する実証的な根拠にはならないだろう。

 事故関連の数字や事故のプロセスの情報開示が遅れたことも、政府・東電の情報隠しの疑惑を国内、海外に拡大させている。

 原発反対論に火が付くのを恐れてぐずぐすしているとか、米軍の協力を拒んだのは原子炉が廃炉になることを恐れたとか、いろんな理由がつけられている。

 チエルノブイリには絶対にならない、と豪語していた日本の原発安全神話の作り手の人たちは、「日本は利益を優先させ安全を犠牲にした」とのロシア高官のコメントをどう受け止めるのか?聞いてあげるから言ってみたらどう?

 進行中の原発事故がうまく終息するか、最悪の事態を招いて日本の半分がダメージを受けるのか、その瀬戸際に居る。 無事であることを祈るしかない。

 さらに原発事故で思うにまかせられない被災者救援を、日本政府は決して手抜きすることなくやってほしい。
橋下大阪府知事も{震災疎開}を提案して、被災者の受け入れを提案している。すでに府議会の議決も経て、2000戸の住宅を用意し、着の身、着のままで来てください、と呼びかけている。子供の学校の転入も可能だそうだ。

 被災地は宮沢賢治の故郷である。被災地の皆さん、雨にも負けズ、風にも負けズ、原発にも負けズ、隣人を助けて生き抜いてください。
 
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