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原発とメディアの責任
 新聞が導入した日本の原発
 
 多額の宣伝資金とCMで汚染されたマスコミと学会
 

いまから約60年以上前、サンフランシスコ平和条約で日本が独立した直後のことである。

 「野獣も飼いならせば家畜となる」。これは原子力の平和利用の先陣を切った読売新聞記事の見出しだ。

正力松太郎率いる読売新聞と傘下の日本テレビ幹部は、秘密裏に米国CIA関係者らと接触して、日本に原発を導入する画策を行っていた。

当時、ビキニ環礁の米国水爆実験で被曝した焼津のマグロ船第五福竜丸の久保山愛吉が死亡したことで、日本には反米感情が渦巻いていた。広島・長崎の後遺症も大きかった。

米ソ冷戦下で米国は日本の反米感情を沈めるための「心理作戦」の一環として、原子力の平和利用、つまり日本へ原発を導入しようとしていた。

その水先案何人になったのが正力松太郎であり、読売新聞だったのである。

原発の燃料になる濃縮ウランは米国から輸入された。当時、原爆の材料である濃縮ウランを供給できる国は、米国とソ連だった。

 

 

福島原発事故が起こらなければ、東日本大震災の被害は甚大ではあったにせよ、日本人は大いに奮起し、世界中の共感と支援を得ながら被災地の再興に全力を傾注できたはずだ。あのような悲劇の後でも勤勉日本人は明るい和の精神を持って、生き抜いたことだろう。

しかし震災に直結した福島第一原発事故は、そういう日本人の意思を挫き、世界の共感を疑惑へと変換してしまった。原発事故は徹頭徹尾、日本と日本人の足を引っ張ったのだ。

 

原発がなぜあのような大事故を起こしたかについては、東電や政府の安全対策の甘さ、「想定外」という言葉で逃げようとする既得権益者や権力維持をはかる人間たちの魂胆の卑しさがあるが、これについては前回ブログでも書いた。

 

今回は東電や政府の原発政策の甘さを監視することなく、原発推進を先導した日本マスコミの役割を見逃すわけにはゆかない。

当時のCIA関係者は、政府間交渉以上に、マスコミの宣伝が果たす役割を重要視しており、とりわけ日本社会では大新聞の影響力が強いことを知っていた。
 米国人がなぜそう考えたかというと、戦中に新聞が果たした洗脳効果に注目していたからだ。

 

濃縮ウラン日本輸入のときには、賛成の読売、反対の朝日と新聞界、マスコミ界を二分する騒ぎになり、学会でも賛成・反対が分かれ世論も二分された。

 

しかし日本が高度成長し、経済大国になるにつれ原発への批判意見は少なくなっていった。資源のない経済大国日本は原発に頼ることなく、いまの豊かで利便性の高い生活水準を保つことはできない、という世論が多数派を占めるようになる。

原発に批判的だった朝日でも推進派の論説委員が活躍するなどして、紙面から反対論の学者、理論家たちが姿を消していった。

マスコミは原発の安全性強調へと論調を転換し、日本が生きてゆくために、原発は絶対に必要なものだという世論を誘導していった。

 

新聞の後から出て来た民放テレビにとっては、CMスポンサーとしての電力会社の金は巨大な力を持つようになる。毎日放送が深夜番組で反原発派の京大の研究者を登場させただけで、CMの引き上げが行われたといわれる。

確かに新聞社でも原発取材をする記者たちは当局や電力会社の監視の目から逃れられなかった。

 

新聞社にはいくつものタブーがあった。菊・鶴・刀とか、関西には松竹梅などというタブーがあった。

部落、朝鮮、共産圏、ヤクザ、宗教団体などの取材もタブー視されていたが、表向きでは語られない隠れたタブーこそが原発だった。原発と原発利権、原発人脈の隠された事実に触れることは、タブー中のタブーだったといえる。

そういうタブー視と言論監視は逆効果になって、記者たちの間では原発はやはり危ないものだという認識を深める結果になった。

 

マスコミと同様、大学でも研究費を潤沢にもつ推進派が権力を握って研究室を牛耳るようになり、マスコミとタイアップして原発安全性の神話を広めていった。

 

放射能漏れが報じられた原発の海で泳いで見せた新聞記者もいた。

 

このたびの福島原発事故報道で、一番驚いたことは、各局のコメンテーターで出てくる学者たちが、ほとんど同じことをいい、いくら放射能が漏れようと、建屋が水蒸気爆発を起こそうと、海に放射線汚染水を垂れ流そうと、オウム返しに安全を繰り返す学者の多さだった。

御用学者という言葉も生まれたが、マスコミは御用学者の説明の尻にくっついて安全神話を垂れ流した。

東電がばら撒いたとされる宣伝資金の分け前にあずかったマスコミ人、文化人も数多いようだ。『週刊金曜日』には東電金脈の文化人リストが載っているという。

幸い、海外メディアや海外の専門家の中には正確な情報を語る良心的なジャーナリストや学者がいたから、あえてそういうところから情報を得ることで、日本で安全バイアスのかかった情報を修正することはできた。

レベル7の原発事故だから、世界に影響を与えないはずはないのだが、日本政府も東電も世界のメディアが事態を注視して、刻一刻と報道していたことに無頓着だった。

 BBCもCNNもリビア内戦と日本原発事故を交互にヘッドラインにして報じていた。その報道の仕方はいまでも変わらない。
 

国内ではマスコミはマスゴミ、という論調が生まれ、マスコミは信用できないという多数の国民がツイッターで発信するようになった。その様子は、独裁者に立ち向かったエジプトかチュニジアかリビア民衆と同じに見えた。

原発事故は社会に革命をもたらす、とフランスの元大統領補佐官で経済学者のジャック・アタリはいっている。

 

 今、マイクロシーベルトからベクレルへと数字が兆単位で発表され、チエルノブイリとは事故の規模が違うといいながら、レベル7を認め、政府は原発施設地域への厳重な立ち入り禁止区域を設けるに至っている。

 

家と故郷をなくし、農産物や魚介類が売れなくなった避難民や漁民、農民の苦悩はいかばかりなものかと思う。

地元漁業関係者の方からメールをいただいたが、魚の数字が出るたびにびくびくしている様子が伝わってくる。数字の発表の仕方じだい、当事者の苦悩を全く考えていない。
 一言でいえば、政府関係者やリーダーたちの想像力の欠如だ。体面を繕って権力の座に居直ることが最重要課題なのだろう。
 

風評被害、というがこれはれっきとした政治被害いがいの何物でもない。

 

菅首相が福島の避難所を訪問した際、被災者から罵倒に近い抗議をされたが、大人しくて従順な日本人の精一杯のプロテストと、政府や保安院、東電は深刻に受け止めなければならない。

しかし現地を訪ねる菅首相、東電社長の言動には事の重みを受け止める姿勢が感じられない。

 天皇・皇后の被災地慰問のさいの、優しく謙虚な姿勢を見習ってほしい。

保安院や東電の記者会見にしても、緊張感がなくだらだらした日常の延長みたいに見える。こうしてお茶を濁していれば給料が入ってくるから、おれたちは生活には困らない的な官僚意識が透けて見える。

 

所詮彼らは当事者ではない。当事者は被災住民であり、農漁民だ。

 

1950年代に始まった原発導入の歴史を振り返り、海洋国家の日本人なのに、海を失うことを覚悟しなければなるまい。聖域ですらあった日本人の海は、原発によって滅ぼされている。

 

「野獣も飼いならせば家畜になる」という新聞見出しでスタートした日本の原発だったが、飼いならすことに失敗して、野獣が牙をむき出して暴走している。

 

その暴走を完全に止める手立てはいまのところない、というのは何ということか。


                       (記事中の敬称略)

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