<< イタリアの国民投票は原発ノー | main | マスコミは政治テロリストか >>
テレビが死ぬ日
 

地デジ化、日本のテレビの終焉なのか

 アナログテレビが終わった。

天皇・皇后両陛下の婚約、ご結婚のころ、当時の皇太子妃のミッチーブームが起こり、この社会現象の報道のなかで、アナログテレビが始まった。

 やがてアナログテレビは報道の中枢にいた新聞の役割と権威を奪い去り、大衆化社会の深化とポピュリズム政治の波にのって、マスコミの覇権を握った。これは80年代以降の現象だ。

 60年から70年代はじめ、マスコミを目指す学生で、NHK以外の民放を希望者はほとんどいなかった。就職を目指す全国大企業の人気第一位に全国紙が選ばれたこともあった。当時は、それほど新聞の人気は高く、国民の信頼度も抜群だったのだ。

 米国の新聞記者たちは、そうした日本の新聞社の姿を羨望の目で見ていた。実際、日本の全国紙はニューヨークタイムズより素晴らしい、という米国人はたくさんいた。

 日本の新聞記者たちも、さまざまな内部矛盾に直面しながらも、良きジャーナリストであろうとする一抹の矜持は、誰しも持っていた。仕事にはやりがいと張りがあった。

 

 80年代に入って日本は「坂の上の雲」を駆け上り、雲の上の虹を掴み、米国を抜き去って世界一のGNPを達成し、世界一の経済大国になった。

 米国のロックフェラーセンターやハリウッド映画を買収、ハワイのリゾート、フランスのワイン畑など世界各地にジャパン・マネーが浸透していった。やがて日米経済摩擦などの海外経済摩擦が起こり、バブル経済に突入する。

 

 バブルの時代の東京は土地が未曾有に高騰し、米国6個分が買えるというほどの土地バブル景気に沸いていた。ちょっとした2DKマンションが軽く一億円の価格だった。夜の東京はギンギンギラギラの電気が灯り、六本木は不夜城と言われた。半裸の娘たちがディスコ・ジュリアナのお立ち台で踊り狂っていた。

 

 日本国憲法を起草したGHQ民政局の故ケーディス大佐が訪日したとき、同行のベアタ・シロタさんが特にケーディス氏をジュリアナに連れて行った。

 シロタさんは日系二世の女性でGHQ時代にケーディス氏の秘書を務め、日本国憲法の女性の参政権の条項を書いた人だ。

 

 彼女は半裸で踊り狂う日本娘たちを見て、「戦後日本女性はここまで解放されたのか」と嬉しくなったといった。ケーディス氏は黙って眩しそうに見ていた、という。

 ちなみにこれだけギンギンギラギラと電気を使っていた当時の総電力量は、2009年の総発電量から原発発電量を引いた量と等しいという統計がある。
 つまり、原発がなくても1985年のバブル期程度の電力はあることになる。
 90年代の経済成長はほぼ横ばいなのに、電力消費量だけが2倍に膨らんでいるのはどう考えても理解できない。どこなにカラクリがあるのではないか。

 

 米ソ冷戦が終焉し、バブルが終わり、日本は不動産不良債権時代に入り、90年代不況に突入した。グローバリゼーションとIT革命に乗り遅れた日本は「失われた10年」に入った。その失われた10年はさらに10年延期され、「失われた20年」になったとたん、3.11大震災と世界最大の福島原発事故が起こり、現在に至る。

 

 被災地の惨状や避難民を放置して、福島原発事故の収束の目途はまったくないまま、原発推進VS脱原発が激しく争って、政治も経済も大混乱しているのが今の日本である。

 

 その原発を日本に導入するにあたって、「野獣も飼いならせば家畜となる」と新聞が水先案内を務め、無知蒙昧の大衆に原発がいかに安全なエネルギーであるかを、大いに宣伝したのが電力会社をスポンサーにつけた民放テレビだった。

 

 アナログテレビは、戦後日本の一番良い時期と最悪の時期の証言者として歴史に残っている。そしてその役割は終わった。

 

 地デジが新時代のテレビとしてアナログ時代のような成果を生み出せるかというと、ネガティブな反応しかない。

 

 いまやテレビを見るのは高齢者だとすれば、彼らはみなNHKしか見ない。NHKもデジタル化しているので、仕方なくテレビ買い替えや変換装置を付けているかもしれないが、民放テレビにはあまり縁がない。

 

 民放のオチャラカ、爆笑、クイズ、バラエティ、タレントもの等は若者が見るが、最近の若者はテレビは見ず、ネットや携帯を見ている。Uストリームやツイッターやフェースブックに入れ込んでいる若者も大勢いる。

 

 震災報道や原発報道にしても、NHKのほうが信憑性の高い情報を送り、民放はおおむね東電や保安院や政府の大本営情報から一歩も出ることはできなかった。

 

 要するに民放テレビはいくら地デジ化しても、従来の路線からの進化は期待できず、たかだか画面の鮮度が良いというメリットしか主張できないでいる。

 

 テレビが死ぬ日、という主張が米国には約20年以上も前からあった。ネットの進化でテレビは情報革命から取り残される。新聞以上に時代遅れのメディアになるのがテレビ、ということだ。

 

 米国のテレビは多チャンネル化、専門チャネル化、ケーブルテレビの普及で危機を回避してきた。

 しかし日本のテレビからはそのようなアイディアも知恵も生まれてはない。ひたすら国の免許事業に甘え、政府の規制に甘え、視聴者に甘えたなれの果てのテレビが、地デジ化でどうなるか、じっくり観察するとしよう。

 

| - | 13:56 | - | - |