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京都の水と原発瓦礫
 

安全確認も何のその、危険な急発進をした大飯原発再稼働に全国各地で抗議行動起こっている。官邸前のデモは20万人と主宰者は発表し、デモに騒乱こそないものの、エジプトのタハリール広場で起こった反ムバラクデモを思わせる光景だ

この原発騒乱はついに世界の文化都市、京都をも巻き込み始めた。

 

 千年の古都で天皇の御所がそのまま残り、洛中洛外に神社仏閣、多くの文化財、数々の景勝地を目当てに大勢の観光客が四季を問わず、訪ねてくる。祇園祭、時代祭、葵祭などの祭りには世界の観光客が京都に来る。文字どうり京都は世界のシンボリックな文化都市なのある。伝統文化が詰まって自然も守られていて、日本の癒しの空間が京都、ということだ。

 鴨川には海からの天然アユが遡上して、四条大橋近くの鴨川の料亭の床からアユの釣り人の姿が見える。安藤広重の版画を見るような懐かしい風景だ。

京都は水の都であり、琵琶湖に匹敵するほど豊富な地下水が巨大な固い岩盤の上に蓄積されている。友禅染や茶の湯で使う上質の水や湯豆腐、白いタケノコ、京野菜などの繊細な食物も京都ならではの上質の水がもたらす名産だ。

 しかし最近、住んでいる人間には、釈然としない点が多々出てきた。京都の自然と命の水は守られるのか、ということだ。

大飯原発再稼働だけでなく、大阪、北九州や島田市のように震災瓦礫焼却の話が持ちあがっている点だ。放射能検査は実施するとの当局の説明はあるが何らかの放射能は含まれていることは間違いない。ほかにクロムやヒ素も混入していると、細野環境大臣はテレ朝の玉川総研の番組で認めている。そんな瓦礫処理を京都でも受け入れよ、というわけであるが、これは京都の歴史も伝統も知らない滅茶苦茶な話だ。

 

 京都の瓦礫処理場は市中を流れる鴨川上流に集中している。 鴨川の上流の北山には雲が畑という渓流の村落があり、ここはイワナ、アマゴがいる秘境山里で渓流釣りのメッカだが、近年、渓谷沿い空き地に産廃業者の処理場や焼却工場があちこちに建設されている。恐らくこの産廃焼却炉のどこかで焼却などの瓦礫処理をすることになろうが、そうなれば鴨川や京都の地下水の汚染は必至だ。当然ながら、京都市民から反発の声が上がっているが、予断を許さない。世にいう産廃利権で財政難の市に金が転がり込んでくるので、為政者にはおいしい話だろう。大阪の橋下市長も積極的な受け入れ姿勢を表明し、市民ともめている。

 それはさておき、京都御所の天皇の飲み水を提供したのが鴨川水系の地下水だ。葵祭は御所を出た天皇の勅使が下鴨神社に来て水の神に感謝する祀りである。千年の都の存続にあたって、いかに水の品質に気を遣ってきたかがわかる。

千年来、都の水を守ってきた鴨氏の子孫は現存し、今でも京都の水を守っている。

  全国各地の協力で震災瓦礫を受け入れ被災地を支える絆の義務を細野環境相は国民に押し付けているが、京都までが横並びで同じことをしてもいいのだろうか。千年の伝統に支えられた鴨川の水をわざわざ放射能の危険にさらす必要があるのだろうか。放射能は微量だと抗弁しているが、クロムやヒ素が混入した瓦礫をばら撒くのは違法行為ではないのか。政府の強弁からは理性の声が聞こえてこない。

 細野氏は京大出身ということで、私も京都の大学出身なので京都を汚染させたはならないという気持ちは強いが、細野氏の心にはそういう郷土愛はないのであろうか。

 どんな危機の時にでも、守るべきものは守る必要があるのではないか、と思う。

 平等意識の強い役所の環境省は、京都を特別視せず、全国展開する方針らしいが、そんな役所の平等意識だけで物事は解決しない。みんなも被曝してるのだからお前も被曝しろ、なんて悪平等の見本である。瓦礫で放射能汚染が起こらないという学問的な確証はどこにもないのである。

 

 細野氏も関与して再稼働させた大飯原発から京都の御所までの距離は70キロ程度、福島第一原発で考えると結構な近場になる。最近直下には活断層が発見されているという学者の報告があるが、環境省も保安院も関電も調査はしていない。

安全管理に不安がある大飯原発でもしもの福島第一クラスの事故が起こると、京都と鴨川の汚染は必至だ。

 

 歴史をひもとくと、大戦中、米国は原爆投下第一目標を京都に定めていた。日本人の心の故郷である京都を消滅させれば、日本は戦う意思をなくすだろうという思惑だった。

しかし京都原爆投下計画に大反対し、古都を爆撃するな、とトルーマン大統領に手紙を書いて直訴したのは、陸軍長官のスティムソンだった。大統領は陸軍長官の反対に折れて、京都への原爆投下は取りやめになったといわれる。軍人スティムソンは京都の文化価値を知っていて、京都に原爆を落とすと世界の非難を浴びると考えたのだ。これについては、拙著『日本はなぜ世界で認められないか』(平凡社新書)で触れている。

 おかげで京都は大戦中も、他の全国各都市が米軍の空爆で壊滅的打撃を受けたのに対し、ほとんど戦災を受けることがなかった。

 

 原爆投下や戦災からも守られた京都なのに、日本人自身が京都を守ろうとする意志が欠如しているのではないか。今、そんなことを思う。日本のシンボルである千年の都といい、「日本に京都があって良かった」と癒しの旅を求める日本人は、気が向いたときに利用するだけでなく、ともに京都を守る決意が必要ではないか。

 被災地に役に立つ行動は一緒に震災瓦礫を燃やすことや、最も隣接する原発をあえて再稼働させることではなかろう。

 日本に京都があって良かった、と日本人が本気で考えているのなら、こうしたリスクを京都にあえて負わせるべきではない。

 

 米軍の戦災や原爆からも守られた都市だからこそ、古い街並みと自然と文化が残った京都の存在価値がある。

 日本人が京都は心の故郷と本気で思うなら、観光と癒しのために遊びに来るだけでなく、こういう歴史的側面にも心を配る必要がある。」

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