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マスコミの規制緩和
 

竹中平蔵氏に問うーーメディア改革も急務だ

 

民主党政権下で最も安泰だったのはマスコミ業界ではなかったか。マスコミと記者クラブに批判的だった小沢一郎氏が追放された後は、菅政権、野田政権ともに有力政治記者との懇談会を開くなどして、新聞やテレビ業界との蜜月関係を作り上げた。

 実はTV界を筆頭とするマスコミが最も逆風にさらされたのは、自民党の小泉政権や安部政権時代だったことは意外に知られていない。

 2005年、海老沢会長下のNHKで不祥事が頻発したとき、小泉郵政改革を仕切った竹中総務相は、TV界の改革に乗り出し、NHK民営化論が噴出したことがあった。

 2006年に向けた自民党政府の「骨太の方針」の中に、竹中総務相は「放送と通信の融合懇談会」を設置し、マスコミの規制緩和に乗り出したのである。

 民間でできることは民間で、という小泉路線のもとでは、NHKも当然民間でやれ、という政治圧力が生まれたのは当然の成り行きだった。

 しかし、大新聞やマスコミ関係者の間で猛烈な反対が起こり、NHKが民営化すると他の民放経営を圧迫するとか、NHKの公共性が失われるなどの世論の反対もあり、この計画はとん挫した。その後の日本では、政治家の口からマスコミ改革やメディアの規制緩和が正面切って出てきた試しはない。マスコミを敵に回す愚を政治家は初めて気がついたのかもしれない。

 田中角栄のテレビ局支配以来、マスコミは政治家の手の平の上で踊っていると誰もが思っていたが、時代は変化していた。記者クラブを介してマスコミは政治家ではなく、霞が関官僚、とりわけ官房機密費などの金を握る財務省の手の平の上で踊るようになっていた、というわけである。

 

 当時の竹中氏のマスコミ改革の目線は、記者クラブ解放というレベルの内部改革志向ではなく、もっとグローバルな産業レベルの変革を求めたものだった。

 竹中氏は、日本にはなぜタームワーナーのような巨大メディア会社が生まれないのか、と記者会見で問いかけたが、霞が関の役所にある記者クラブで守られた新聞記者の中に、その真意を理解した者はいなかった。

 

 私は竹中氏の政策には批判すべき部分は多々あると思ってきたが、日本のマスコミ改革の提案には基本的に賛同していた。なるほどNHK民営化論は公共放送の観点から見れば問題が多いし、NHKと同様の英国の公共放送BBC対してサッチャーが試みた民営化構想も失敗した経緯がある。

 しかし昨今のNHKがBBCに匹敵するほどの公共放送の中身を維持しているかといえば、そうは思えない。確かにNHK報道の中には、民放が逆立ちしても敵わない質の番組もあるが、いまやそういう番組は希少でしかない。多くのNHKの報道や番組は、概ね、民放でもやれる程度の質でしかないと思う。

 

 それよりも現在のTVをはじめとする既成メディアの番組や報道の大多数は、報道の名に値しない愚にもつかない言説を垂れ流し、独りよがりで世界性や普遍性がなく、自分の組織利益を守るのに汲々とし、既得権益を擁護して、視聴者の期待を裏切り、国民に嘘を伝え、事実と真実から遠ざける報道が多すぎる。権力側の情報操作や既得権のPR機関にすぎない、と思わせる報道や番組があまりにも目立つのである。

 とりわけ、3.11を境にした報道、福島第一原発事故をめぐる報道やその後の原発再稼働をめぐる問題等では、国民の目から事実を隠ぺいする報道が目立った。放射能汚染の迅速な情報は国内メディアからではなく、概ね、海外メディアからもたらされた。

私は3.11以降の日本の報道の堕落について、『報道ウオッチ 3.11』というiPhonやインターネット販売の電子本を書いて、アップルストアに置いた。活字メディアといえど、既成の紙媒体だけではなく、ネットを使わないともう駄目だ、と思ったからである。

 

 竹中氏のメディア改革ので最も注目すべき点は、「日本になぜタイムワーナーがないのか」という部分だ。タイムワーナーとは米国の巨大メディアコングロマリットで、GEとかディスニーとかニュースコーポレーション等もそうだ。

 日本の既成メディア企業は新聞・テレビ・出版を併せても4兆円レベルの市場規模で、せいぜいトヨタ1社の3分の1か4分の1程度でしかない。1社の総収益が兆ドルレベルに達する世界のメディアコングロマリットとは比較にならないほど、小規模なのが日本のメディア産業である。

 

 バブル時代の日本のメディア産業の規模を分析したMITのウエストニー教授によれば、日本の広告産業の市場はGDP比でいうと、米国の4分の1で、当時のブラジル並の途上国レベルの規模でしかないと分析している。

 なぜ広告市場のサイズが小さいかというと、日本の広告産業が極めて自閉的で国際化しておらず、電通、博報堂という2大広告会社に牛耳られているからだ、という。

 要するに日本のメディア産業は規制だらけで成立しており、広告は電通、博報堂の2大広告会社の寡占体制から解放され、グローバルなメディア産業へ脱皮しない限り国際的にサバイバルできない、と指摘しているのである。

そのためには官僚に牛耳られたメディアシステム(電波利権)の規制緩和が必要だし、大新聞が株主として民放各社を系列の子会社にして支配しているメディアのクロスオーナーシップを禁止する必要があるのだ。例えば、再販価格維持制度ひとつ見ても、大新聞は規制で守らているのだ。

このたびの消費税アップの中で、新聞だけが消費税を逃れる可能性があるのも旧体制と新聞の癒着が伺える。 

 

 記者クラブが日本的メディアシステムの弊害の最たる部分であることは確かだが、もっとグローバルな視野から日本のメディア改革を論じる必要がある。

 メディア改革をしなければ、たとえ経済が一時的に好転したとしても、内向きな日本の姿勢が変わることはない。日本人の内向きメンタリティが変わることもない。

日本という閉鎖的で内向きな国と国民文化に新しい知と血を導入するには、まずもってメディア改革を断行する必要があるのだ。

 

 竹中氏が安部政権でこのたび復活するならば、自らが数年前に着手しようとしたメディア改革のことを忘れるべきではない。あの時は、郵政民営化の次はNHK民営化だという、単なる思い付きでメディア改革を提唱したのであれば、やはり竹中氏が口にする改革は信用できない。

メディア改革の課題は、目先の経済問題以上に、日本の将来にとって重大なことではないかと思っている。あえて竹中氏に問うゆえんである。

 

以上の論点に関して、私は以下の著作で様々な視点から論じている。

『日本はなぜ世界で認められないのか』(平凡社新書)

『日本型メディアシステムの興亡』(ミネルバ書房)

『日本型メディア・システムの崩壊』(柏書房)

『戦争報道とアメリカ』(PHP新書)

『日本のジャーナリズムとは何か』(編著、ミネルバ書房)

 

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