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象徴天皇とは何か

 8月8日に天皇のお言葉が発表されて、マスコミも政府も大騒ぎになった。

 

 かつて私は記者時代に、もう何十年も前の昭和天皇の時代に皇位継承の大嘗祭をどうするのか、という記事を手がけたときの大騒ぎを思い出した。大嘗祭について政府も宮内庁も何も考えていなかったらしく、「呑気なもんだな」と問題提起した哲学者・上山春平氏も驚いていた。

 戦後の憲法で天皇は象徴となり、戦後の教育の中でそう教えられたが、天皇制の研究者たちはゴマンといるのに、誰もそういう現実的な話をする人はいなかったし、政府や政治家や役人も日頃は天皇を利用しながらも、アタマの中に具体的なアイディアはなかった。

 当時、私は大阪の学芸部記者という地味なポジションにいて、京大などを回っていた。京大には人文科学研究所があり、新進気鋭の学者たちが集まっていて毎日、面白い研究や議論をしていて、そこは新聞のネタの宝庫だったので新聞記者が群がっていた。著名な教授クラスには桑原武夫、貝塚茂樹、今西錦司、梅棹忠夫氏らがいた。司馬遼太郎氏は新聞記者時代に、京大を回っていてしばしば図書館に籠り、あれだけの知識を仕込んで大作家になったという伝説の記者の先輩だった。

 

 当時から自民党のタカ派には憲法改正論者はいて、何かあるとそれがアタマをもたげるところはあったが、多数派にはハト派が多く、安保より経済や外交に強い政治家が主流を占め、平和主義者が多かった。だから改憲には関心がなかった。戦前と戦後を同格に比べることすらアホらしいことだった。

 また当時は青春時代に戦争にまきこまれて学徒動員で駆り出され戦場に送りこまれた人たちも多く、もうあんな無謀な戦争はこりごり、ようやく平和な研究生活が保障された現代は素晴らしいと考えていた。京大哲学科を出たばかりの上山氏も戦地に動員され、海軍兵士として人間魚雷「回天」に配属された。

 死ぬ覚悟はあった。しかし出撃はしたが魚雷が故障して海に漂い、九死に一生を得て大学へ戻った。

 

 戦争が終わって、新憲法草案を自分で書いたことがある。そして自分たち若者が国家に命を捧げるように迫られた精神がどこから生まれたかを考えると、超国家主義の明治天皇制に行き着いた。国のために死ぬことは、現人神(あらひとかみ)としての天皇の為に死ぬことだった。戦後、天皇は人間宣言をして神ではなくなったが、戦前の天皇は神だった。

 

 「新憲法は満足できる内容ではないが、自民党改憲案を読むと、あんな出来の悪い文章に戦後の憲法を任せるわけにはゆかない。当面、私は護憲でゆく」と晩年まで語っていた。

 

 確かに自民憲法草案には理念や哲学がなく、日本と天皇を称揚するだけで、不偏的な理想を掲げているわけではない。目的とする到達点もわからない。ノリと鋏で切り張りしたかに見える文章は稚拙で官僚の作文としても、まったく出来が悪い。

 アメリカ憲法もフランス憲法もイギリスの大憲章も格調がたかい。外国語であっても、文章の格調の高さくらいはわかる。およそ一国の歴史を刻み、かつ人類の普遍的な理想を掲げて現代に引きつがれている憲法は、どの国の憲法であっても高い格調がある。

 平和主義を貫き戦争放棄を謳う今の日本の憲法のほうがはるかに格調が高く、世界の理想を述べている。オバマ大統領が広島演説で掲げた核兵器廃絶の理想とも重なる。憲法とはその国の旗であり、理想を高々と掲げるものである。現実論をくどくど捏ねまわすのは憲法ではない。

 

 戦後70年続いた現行憲法のほうが自民改憲草案よりはるかに格調が高いのは、読み比べた人ならだれでもわかる。「みっともない憲法」などどこれを揶揄するのは、安倍首相かその周りの人くらいのものだろう。

 

 さて、天皇のお言葉だが、このビデオメッセージ意味するところは実に深い。なによりも国民に向ってまっすぐに語りかけておられる。約30年間、象徴天皇の人生を歩んでこられた平成天皇は、国民の誰よりも象徴天皇という歴史上、未曾有の体験を生きて来られた。

 雲仙の火砕流事件のころから、現場に出かけて被災者を見舞い、亡くなった方々の慰霊を続けた。天皇のこの旅は、途中で体調を崩されたことはあるが、途切れることなく現代に及んでいる。最近でも東日本大震災の被災者の見舞い、原発事故に遭った方々の見舞いなど、思いがけない悲劇、災害に遭遇した国民に対するきめ細かな気遣いがあった。

 「日本の津々浦々、島々も訪ね、そこに生きる共同体の人々に寄り添ってその声を聴いてきました」とメッセージでは述べられている。

 また海外や沖縄には戦死した人々への慰霊の旅にも出られた。昨年はペリュリュ―島の戦没者慰問に行かれた。この島は日本軍玉砕の島ではあるが、日本軍が米兵捕虜に対して残虐行為を働いた島でもあり、米軍の報復への恨みを買った場所でもあった。

 

 天皇はそれらの旅を続ける中で、日本の隅々にまで村落や郷などの共同体があり、それらの小さな単位から日本国民がなり立っていることに気がつかれたのだと思う。まるで民族学者の柳田邦男や折口信夫のようだと思った。

 この旅の集積によって平成天皇は、自ら憲法に規定された象徴天皇になられたのだと思う。

 

 かつて象徴天皇を学校で教えられたときは、象徴て何か、意味はわからなかった。日本のシンボルのことだと言われると、ますますわからなくなったことを覚えている。

 今回のビデオメッセージを通じて、国民の誰もがわからなかった象徴天皇の意味を教えてくれたのだろうと思う。天皇はそれによって今の憲法に生きた血を注ぎこまれたのではないだろうか。

 こう考えると、今の憲法はもっと生き生きしたものになる。日本列島にどんな不幸や悲惨な事件が起ころうとも、いつも「国民の安寧と幸福」を念じてくれる天皇の存在は、有り難いものではなかろうか。そのようにして憲法が国民と共にある社会は素晴らしい社会ではないだろうか。そんな素晴らしい社会を作るために、国民も努力して一歩、前に進まなければならないのではないか。我々は天皇の存在についてあまり考えることはなく、ただ甘えてしまっていたのではないだろうか。


 もしいま自民改憲案が通ってしまえば、象徴天皇はなくなるだろう。自民案には「天皇は国家元首」とあるから、少なくともいまのような天皇の立ち場とは違ったもになる。

 また改憲案では憲法の骨格や哲学を伝える重要な前文が全て削除されているから、その骨格や歴史観、思想は不明になるが、基本的人権を削減し、個人を人と言い換えたり、言論の自由には公案の許す限りなどの条件を忍びこませている点は、まったく油断はできない。国民が自由に振る舞うことに対する警戒心や、権利の主張に対しても国家の許容する範囲内での自由と民主主義というタガがはめられいる。国民を警戒し、敵視しているのではないかと勘繰りたくなる文章がある。

 2年前、アベノミクスが始まったころ、久しぶりにかつて在籍したことのある古巣のハワイ・東西センターを訪問した。そのとき旧交を温めていた知人の米人の政治学者が「自民党改憲案を呼んだけどあれは酷いね。日本は明治憲法の大日本帝国憲法に戻るつもりかね」といった。ちょっと大げさかなと思ったが、今になって思えば、当方のほうが自民改憲案を甘く見過ぎていたのかもしれない。

 

英紙、真珠湾奇襲攻撃以来の書き方

 英国の有力紙「ガーディアン」は今般の天皇メセージのニュースのを報道で、「日本の象徴天皇のリタイア問題に関して、冷酷な独裁者は反対する考えを示した」と書いている。欧米の新聞が日本の指導者を「冷酷な独裁者」(Only a cruel despot would stop Japan’s emperor retiring)と表現をしたのは近年は見たことはない。それは70余年前の真珠湾攻撃以来の書き方ではなかろうか。

 71年目の夏、政治的権力のない天皇が安倍改憲の前にたちふさがったように見えてきた。天皇も止むにやまれない想いで、今度のビデオメッセージ発信に踏み切ったものだろう。実際、フランスのル・モンド紙はそう書いている。

 

 安全保障や米国との同盟関係の課題だけが日本国憲法の問題ではない。自民改憲案にはもっと重要な問題点が隠されている。憲法前文、憲法1条(天皇)憲法9条(戦争放棄)の3つの文章はリンクしており、どこかが削除されると意味をもたいないような構造になっている。憲法はジクソーパズルのようなものである。どこかの破片がなくなると全体の骨格が崩れてイメージが完結できなくなる場合もある。

 昨年は歴史認識の問題が問われ、安倍政権のメディアへの圧力や介入が露骨になったが、今年は象徴天皇の退位をめぐって、大きな波乱がありそうだ。

 

 (このブログは約鞠間、事情で休止していましたが、折を見て再開し、憲法と天皇の問題を考え続けてゆきたいと思います)。ご愛読を感謝します。)

 

                                   (柴山 哲也) 

 

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