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天皇と国家元首

 天皇のビデオメッセージと退位問題が国内外で大きな波紋を広げている。

 

 近隣諸国の韓国、中国などアジア各国はもちろん、欧米メディアも関心ももたずにはいられないのだろう。

昨年の戦後70年首相談話では、大戦に対する通り一遍の感想は述べたが、痛切なる反省の言葉もなく、欧米の大新聞からは「責任の主体が見えない歴史修正主義談話だった」と総括された。従軍慰安婦は存在しない、南京虐殺はでっち上げだという安倍政権のシンパの右翼が唱える言説と共に、日米同盟を隠れ蓑にして、日本の自衛隊が世界中どこにでも展開可能にした安保関連法の強行採決で、世界は日本の動きをきな臭く見ている。

 大東亜戦争は聖戦だった、キリスト教国家連合軍からアジア侵略をストップさせた、とまるでイスラム過激派みたいなことを真顔でいっているグループがある。ナチスドイツのハーゲンクロイツ旗を掲げたヘイトデモが堂々と町中を練り歩くデモも日常化している。

 タカ派のトランプ候補がしばしばいうように、原爆を謝れというなら真珠湾をまず謝れという理屈は、アメリカ保守層や退役軍人組織の家族等には根強いあり、近年、これがぶり返しつつある。その点で日本に融和的な姿勢を示すオバマ政権の評価は軟弱に見られ、渋いのだ。いまさら日本の面倒などみていられるか、というのが共和党トランプ候補のホンネである。

 アメリカだけでなく英仏蘭諸国は太平洋戦争の真珠湾攻撃と同時に、植民地の東南アジア諸地域を急襲され奪取された恨みがあり、日本軍の捕虜にされて信じられないような虐待を受けた軍人たちの恨みはまだ消えてはいないし、日本の悪行として語り継がれている。

 アジアでも比較的親日だったシンガポールにも近年、国立博物館が新築され、そこの展示コーナーの中には、日本の大戦中の残虐行為を特集したフィルムや写真や事物が展示されていて、知らずにそこに足を踏み入れた大学生はずっと中にいられずに、中途で逃げ出したという。

 世界中で評判芳しくない日本が太平洋戦争前夜のように、おさおさと軍備を拡充していると受け止められても不思議ではない。それを知らぬはにほんじんばかり、という構図が戦前とおなじように出来つつあるのだ。

 

 そうした中で平成天皇が国民向けに出されたビデオメッセージが関心をもたれるのは当然のことでもある。

天皇は戦後の憲法で定めらた象徴天皇となにか、を即位以来ずっと考えて来られ、象徴として有りうべき天皇の行動を実践して来らてたことは、先のブログで述べた。

 象徴天皇とはなにか、ということは実は総理大臣にも政府の役人にも学者にも国民にも、だれにもわかっておらず、先例もないことだから、天皇ご自身が自らこれを実践して行動してきたことがらのすべてであったと考えらる。

 象徴天皇とは「内閣の助言と承認により、国民のために、国事に関する行為を行う」と憲法には書いてあり、「国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する」となっているので、自らの政治的権能はない。

 また被災地の訪問、戦没者の慰霊などにより、災禍に遭った国民の傍らに寄り添って目線を合わせ、会話するという行為を積み重ねることで、象徴天皇の有り方と独自のイメージを構築されてきた。

 世界には皇室が存在している国はたくさんあるが、このような皇室の独自の有り方、モデルはどこにもないだろう。象徴天皇とは、戦後日本だけが生み出した新しい皇室のイメージなのである。またこの天皇イメージは権力、軍事力、経済力を背景とした物理的な権力からは遠い、シンボルとしての新しい日本文化を作りあげている。

 

 戦前の昭和天皇は軍人のイメージがあったが、平成の象徴天皇はこれを払拭して文化のメージへの転換させている。憲法と共に生きて来られた平成天皇が象徴にこだわるのは、歴史的な意味があることを、共に戦後を生きた国民は理解すべきだ。

 

天皇は国家元首か

 自民改憲案では天皇は「国家元首」としている。詳しい規定はないので「国家元首」が何を意味するのかは不明だが、明治憲法では「天皇は国家元首」となっているので、明治憲法回帰といえる。少なくとも「象徴」よりは権力者のイメージが強い。そのぶん象徴天皇が築き上げてこられた文化イメージは削減される。

 

 マッカーサーの指示でGHQ憲法草案を書いた民政局のケーディス元大佐(すでに故人)に話を聴いたことがある。マッカーサーは良くしられた憲法三原則の走り書きをケーディスに示した。草案を書くにあたり、「戦争放棄、国民主権、封建制廃止」の3つを骨子とせよ、ということだった。天皇に関しては「主権を持つ国民の総意による国民の代表者」といったという。

 「象徴=シンボル」という言葉ではなかったが、「head of the State 」とマッカーサーはいったという。この英語なら国家元首ということになるが、「Stateの前にthe がついていたので元首を政治的権限を持たないという限定的な意味に用いたと思う」とケ―ディスは説明してくれた。ポツダム宣言の受諾をめぐって日本側と米国側が天皇の地位をめぐって厳しいやりとりをしたことが、こうしたマッカーサーの言葉になったのだろう。

 要するに日本語訳で「象徴」としたことに間違いはないということだった。「国民の総意による象徴天皇」だからシンボルといういい方は少し違うが、「象徴」は的確な表現になるということだった。

 

 ところで、「天皇を国家元首とし、政治的権限を持たない象徴の地位に止める」という内容の自民改憲案は優柔不断であり、憲法制定の歴史的な経緯から見ても、意味不明なものである。天皇を国家元首と外国ではみなしてるからそれに合わせるというが、立憲君主国ではおおむね国王は国家元首とされている。しかし戦後に出来た「象徴天皇」という存在と国民の総意はつながっている言葉だから、あえて明治憲法に回帰するかのような「国家元首」に変える必要はなかろう。こうした天皇の地位の変更は日本の下ごころを詮索されるだけだ。

 憲法には歴史が刻まれている。現行の日本国憲法も20世紀の歴史の所産として誕生した。これをそう急に変えて20世紀の歴史を修正して何事もなかったような顔をして明治憲法に戻る必要がどこにあるのだろうか。

 

 ちなみに天皇メッセージのニュースを書いたニューヨーク・タイムズは、日本の天皇を head of state と表記しいるので安心されたい。しかしマッカーサーがいったような「state の前にthe」はついていない。さすがのニューヨーク・タイムス記者もそれは知らなかったのだろう。「象徴天皇」という呼称こそが、日本独自の言葉なのである。

                                       (柴山 哲也)

 

 

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